このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

国鉄北条線(現・内房線)岩富隧道

深い切り通しの下、それはさも『当然』のように存在していた。
国鉄北条線・岩富隧道。
それは僅か8年間しか使われなかった隧道。


切り通しを降りて隧道前へ。
webで何度か見ているがなんと言うか独特のデザインの坑口である。
今まで、こう言った感じの隧道を今まで見た事がない


まるで飾り付けの如くポータル中央部に草が生えている。
何かオシャレ。
が、この草が生える亀裂が将来的に決定的な崩壊を起こすかもしれない。


隧道内部。
中は完全に水没。
数m進んだだけで股下ぐらいの水深となってしまうようだ。
だが、苔むした煉瓦の内壁とあわせ、とても幻想的な雰囲気。

坑口付近でこの出水。
内部からも水が滴り落ちる音が響く。


内壁にも激しい亀裂。
そしてそこから植物が根ずく。

この隧道、たった8年しか使われなかった、と述べたが
別に手抜き工事があったとかそういう訳ではない。
この隧道は大正7年に『木更津線』が那古舟形へ延長した時に運用が開始された。
そして翌年、安房北条(現・館山)まで延長された際に『北条線』に路線名を変更。
やがてはこの岩富隧道も房総周回鉄道の一区間として活躍するはずであったが・・・。

大正12年(1919年)9月1日
関東大震災 発生。

未曾有の大災害により岩富隧道内部で大崩落が発生。
約3ヶ月をかけて復旧工事をし再開通をしたもののやはり震災の傷跡は大きく
大正15年に現在線が開通。
不運の隧道 旧・岩富隧道は放棄されたのである。

ちなみに旧・岩富隧道は実験的にコンクリート道床が採用されたらしい。
水没してしまった今では泥も溜まり確認しようが無いが。


坑門上部は水路として活用されている。
と言うか、坑口付近の出水はここから漏れてんじゃねーの?


坑口後方の風景。
ここに鉄道が走っていたなんてまったく想像付かない。
鉄道が走ったのはたった8年。
そして放棄されてからすでに90年以上経っている。

木更津線と呼ばれたこの路線は、その後
北条線→房総線→房総西線→内房線
と4度も名を変え現在に至っている。


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