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金比羅峠
群馬県高山村〜沼田市
2006・5・21来訪

一見何でもない舗装林道。
しかし、その正体は・・・。

群馬県道36号線、赤根トンネル手前。
トンネルがある所旧道あり、ってのは旧・廃道マニアとっては常識。
ご覧のとおり、坑口手前には「いかにも」な道が分岐している。
当然の如く、旧道へGO。
分岐直前こそ2車線だったものの、すぐに1,5車線のショボ道になる。
まあ、田舎県道の峠越えなんて何処もこんなものだが。
やがて、再び分岐が現れる。
どっちも同じようなショボ道で、どっちが正しい旧道か迷う所。
実は右折する道が元県道なのだが、初回に訪れた際にはそれが解らず直進してしまったのである。
後に地図で調べて見ると、この右折側の道が赤根峠を越え現道に合流する道と気付き「失敗したー」と悔しく思った。
で、この直進する方の道は「金比羅線」と言う林道。
殆ど地図で途中から点線、また表記すらされない場合もあるマイナーな道である。
通り抜けさえ怪しい道であるが、あえて今回ピックアップするのは旧県道赤根峠ではなく、こちらの道である。
初めに言ってしまえば、通り抜けは問題なくできる。
全線舗装済で「季節」さえ良ければ車種によらず走破は可能でである。
ただし、けっして楽な道では無いが・・・。
旧県道との分岐より少し進むと、道の横に古びた鳥居が。
その鳥居の奥には御神体と思われる奇妙な石が鎮座している。
この石は福守石と言い、子孫繁栄の御利益があるんだそうな。
別名「摩羅石」とも言われ要するアレ、男なら誰でも持っているモノに酷似した石って事。

チ○コ石って事ね。

また、そのチ○コ石の後には「塩原太助 馬つなぎの松」と呼ばれる松ノ木がある。
塩原太助は上野国新治村(現在の群馬県みなかた市)の生まれで、18の時に親の反対を押し切り、江戸へ出て努力の末に大商人に出世した、と言う人物である。
その塩原太助が江戸へ向かう際、この松ノ木に愛馬をつなぎ、後ろ髪引かれる思いで別れたと言う逸話が残っている。
この二つの史跡の前にはちょっとした休憩所もあり、それなりに人が訪れているらしい。
また、このような史跡があるという事は傍を通る林道「金比羅線」もまた歴史ある道だと言う事が窺われる。
史跡を過ぎ、道はやや急勾配の傾斜で山を登っていく。
あたりは杉林が広がっているが間引きが行なわれたのか、日差しが入り込んで明るい印象を受ける。
訪れたのは五月も終わりに近づき、季節も初夏へと向かう頃。
二輪でフラフラするには一番いい時期かもしれない。
旧県道の分岐より1kmちょいであっさり峠に到着。
平成の大合併により「みなかみ町」に飲み込まれてしまった旧「月夜野町」の白看板が残る。
「月夜野」ってすごく綺麗な地名で好きだったんだけどなァ・・・。

さて峠の様子を見てみよう。
植物に覆われ、さも昔からそうであったように見えるが、
よく見れば人為的に切り通された地形である事に気付く。
また画像ではよく分からないが、ちょうどV字の向こうに谷川連峰が顔を覗かせている。
なんかとても峠らしい峠だ。

さて、この林道「金比羅線」の正体。
実は古道・三国街道だったりする。
旧県道36号線が右折し、林道が直進だったのはこういう理由であったのである。

初めてこの金比羅峠を訪れた日、
自分は埼玉の大宮から延々旧中仙道を辿ってきていて、高崎からは三国街道を辿ってきていたのだ。
それで赤根トンネルも旧道を辿ろうとしたのだが、旧県道へではなくこちらの方へ来てしまった。
あとから赤根峠が旧県道だと知り前述のとおり、「失敗した」と思ったのだが
もっと調べてみると金比羅峠の方が更に古い古道だった訳である。
古道、三国街道は峠を直進し登山道(一部完全に廃道)となる。
車道の方は路線名を林道「前山線」と変え峠を降る。
地図ではここの区間が点線になってたりするが、間違いなく車道として開通している。
しかも舗装路としてだ。
基本的に一車線だが、このように道幅が広くとられている所もある。
降り序盤はごく一般的な林道と言える。
みなかみ町側には簡易な展望台があり、遠くに聳える谷川連峰の威容を望む事が出来る。
かつての旅人達のルートとは多少違うが、目の前に広がる山々は今も昔も変わらず存在している。
過去の旅人達はあの峻岳を望み、
その雄大さに感動したか、またはこの先の険しい道程を思い身震いしたかのどちらかだろう。
展望台を過ぎると道は急坂、急カーブのオンパレードとなる。
アクセルを回さなくても、スピードが勝手に上がっていく。
その上、180°カーブが連発するのでブレーキが手放せない。
しかも、落葉がたまっていたりするのでとても危険である。

だが、5月ならまだ良い。
これが8月過ぎるとタイヘンな事になる。

殆ど手入れの入らないショボ林道なので、夏場に生い茂った植物によって路面が0,5車線ぐらいに縮まってしまう。
更にはその辛うじて姿を現している路面も落葉によって埋め尽くされそれはもう酷い道となる。
前回はその酷い時に訪れたので、思わず「コレ、廃道じゃねーの?」とさえ思った。
が、以外にも交通量は多く、草を掻き分け対向車が現れるのもしばしば。
原チャリと車の離合でも一苦労なわけで、車同士だったらそれはもう想像を絶する。
どちらかが数十mこのキツイ道をバックで進まねばならないのだから。

運転初心者の方は絶対、夏場にここを訪れてはならない。
3,4kmほどウンザリするようなキツイ道を降り、ようやく展望台から見えた麓の集落につく。
少しばかり、苦労して峠を越えた昔の人の気持ちもわかった気がする。
集落内の道を迷走し、やがて県道36号線に合流。
ちょっと進めば現在の関東から新潟へのメインルートである国道17号線へたどり着く。
ちなみに三国街道と国道17号線、高崎〜渋川間はわりと近い位置にあるのだが、渋川からここ旧月夜野間はまったくの別ルート。
三国街道はR120沼田街道が分岐する沼田市をスルーしている。
ここらへん、昔はどうなっていたのかが気になる所。
沼田街道も古そうな道なのだが。
ちなみにこの前川・金比羅林道は「中部・北陸自然歩道」に認定されているらしい。
が、気になるのが「中部・北陸」って所だ。
群馬県はどう考えてみても関東だぞ。
一応、新潟へむかう道ってことで「北陸」が当たるのかも知れないが、まだ三国峠越えてない訳で少しばかりフライング気味じゃないの?とか思ったりする。
さて、ここから先はオマケ。

赤根トンネル高山村側のちょっと手前にはこのような泉がある。
ここは「三国街道一の清水」と言われ、多くの旅人の喉を潤した。
参勤交代の際、ここを通る長岡藩主(牧野家だが何代目なんだ?)もこの清水をとても愛飲していて、
病に付し死ぬ前にもう一度飲みたいと言ったそうだ。
しかし、長岡からこの水を汲み三国峠を往復するまでに主君の命は持たないと思った家臣は
近くの湧き水を汲んでそれを差し出したが藩主はニセモノであると見抜きその後亡くなってしまった。
偽清水を献上した家臣はそれを責任に感じて切腹してしまったそうだ。

うーん、罪作りな名水だ。

ちょっくら、その殿様をも魅了した清水とやらを味わって・・・。
って、飲めないんかい!

200年近い間にそんな水質が悪化したんか・・・。


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