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撤去間近の旧旭川駅探索日 2011年1月1日

日本最北の都市ターミナル駅であるJR北海道の旭川駅.
北海道の動脈である函館本線を軸に、宗谷本線、石北本線、富良野線と四方に路線がのびている。
2010年10月10日、かつての貨物ヤード跡に建設された高架新駅舎が仮開業。
1898年(明治31年)より使われてきた地上駅は廃止となった。

2011年正月、北海道へ10年振りに訪れた僕は旭川駅の変貌に驚く。
国際展示場のような洒落たデザインに道央の中心駅として存在感を訴えかける。
一方、高架の下を除くと雪に埋もれたかつての駅構内。
新駅舎完成に伴う再開発の為、これらが消えるのは時間の問題と思われた。
この旅行の当初予定では旧駅探索は全く組み込まれていなかった。
帰路の際16:06に宗谷本線を下り、17:38の函館本線に乗る1時間32分のみが探索に許された時間。

冬の夕暮れ、強行雪中探索が2011年発オブローディングであった

島式ホームに向かい合う785系・789系特急「スーパーカムイ」
ステンレスボディの車体と近代建築の模範とも言うべき駅構内のデザインと妙にマッチする。
実は訪れた時には旭川駅が改修された事は全く知らず、石狩川を渡った後に高度下げずそのまま見知らぬ高架駅に誘導された時は少々驚いた。

この写真を撮った時は2010年大晦日で、宗谷岬へ初日の出を拝みに行く旅路の途中であった。
宗谷本線に乗り更に北へ。
12:28発の名寄行きに乗車。
出発した列車は列車はホームを抜けていく。
列車の中から高架の下を見ると思わぬ光景が現れた。

高架下には鉄道架線が。
始めはまだ地上駅の一部が使われていたのかと思ったが、よく見ると線路は埋もれてしまっている。
一部撤去が済んでいる箇所もあり、これから徐々に作業が進んでいってしまうだろう。
次に訪れた時には間違いなく跡形もなくなり街の中一部になってしまっているに違いない。
故に例え僅かな時間しか取れなくても、帰りの時に必ず立ち寄らねばならないと思ったのだ。
新年明けて2011年元旦。
正月っ気も微塵も感じさせない殺風景な風景。
ここは旭川駅旧駅舎内。
駅ロータリーへ向かう通路の一部となっている。
真新しいモダンな駅舎とのギャップが凄い
通路囲うフェンスの隙間を覗くと旧駅ホームが。
斜陽の影、雪に埋もれ最後を待つ。
此処と同時に旧駅舎も解体され、跡地は駅周辺に分散されていたバス停を統合し大型バスターミナルが設置される。
一つの駅の改修というより街の再構成が行われていると言った感覚が正しそうだ

ターミナルを回り込んで旧駅構内を目指す。
人通りが少ない所は雪が深く足首まで埋まる。
とは言えこの日の旭川はそれほど気温は低くなく0度程度。
真冬の北海道にしちゃ暖かいぐらいだ。
と言うか実は旭川手前まで吹雪が吹いていたと言うのに、市街地入ったとたん雲が切れて晴れ始めたという奇跡。
このチャンスを逃すわけには行かない。

レールが剥がされ、雪に埋もれた旧駅構内。
振り返れば、夕暮れに浮かぶ旭川駅。
旧駅構内ががらんどうになっている為か必要以上に新駅舎が大きく見える。
実際に7番線ホームまである大ターミナルなのではあるが。

沈黙の構内信号。

日暮に聳える照明塔。
石北本線、宗谷本線共に非電化路線だが、新旭川〜永山間にある旭川運転所に出入りする電車の為に架線が引かれている
反対側には分岐していく富良野線の高架。
陸上駅時代には富良野線ホームは広大なヤードを挟んで他路線ホームと遠く離れていた。
最も高架駅改修で利を得たのは富良野線利用者であろう。

旧駅撤去工事の作業用車出入りの為に整地された部分。
新線の高架にもスペースがあるので、後には駅東西を結ぶ道路が出来ると思われる。
留置線。
電化されているがかつての様子を見ると石北・宗谷本線のディーゼル車両が利用していた事の方が多いようだ。
留置線終端。
裏側から。
本線の築堤が高度を上げていく。
宗谷本線は旭川から牛朱別川を越えるまで高架線となっている。
この区間には旭川四条駅と言う高架の無人駅があるが、つい最近までココが最北の高架駅かと思っていた。
しかし本当の最北高架駅は石北本線の柏陽駅だったらしい。
夕闇の高架を往くキハ40。
昭和50年代から30年以上に渡って使用されるロングセラー車両。
本州では徐々に数を減らしてきているが、北海道ではまだまだ元気。
あと10年は戦える。
築堤に解体された施設の瓦礫が積みあがる。
以前は駅構内に旅客扱いの施設だけでなく、貨物扱いや機関区や車両区など多くの運転管理施設も置かれていた。
かつての大ターミナルと言えば広大な敷地に敷き詰められた線路。
つかの間の休息を取る車両、連なる貨車、汽笛を鳴らし次の任務へ準備に向かう機関車・・・。
そんな光景を眺められる場所も少なくなってきた。
旧本線の築堤は道路を越えた後、新線と合流。
やたら幅をとっている架線柱が敷設されている部分がそう。
かつて広大なヤードがあった駅西側へも行ってみた。
北側にショッピングモールが出来ていたが、そこ以外は見事に雪原。
しかし10年もすればビルが立ち並ぶ近代的都市に生まれ変わっているだろう。
僅か一時間半だったが駅前に戻った時はすっかり日も落ちていた。
探索するにはいろんな意味でギリギリの時間だった
乗る列車の出発まで時間がなくあわてて撮ったのでピンボケ
この駅舎は1960年完成の3代目。
駅施設だけでなく北海道放送の支社も置かれていた。
20代前半の頃、幾度か大荷物背負ってうろつき回った思い出が残る。
また写真だけの景色が一つ増えた。
数年後訪れた時には、見知った見知らぬ街が存在しているだろう。
それが進む、という事。

僕らは『時』を旅している。

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