このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

名鉄美濃町線

五月の夕暮れ。
家路向かう車が行きかう幹線道路の横に単線ローカル線が通る。
真新しい架線柱も見受けられ現役の路線にも見える。
が、良く見ると架線は外され線路は錆びついている。

名古屋鉄道美濃町線。
元は美濃電気軌道という社名で1911年に開業、
その後名古屋鉄道の傘下に入り『美濃町線』という路線名になる。
幾多の路線変更、区間廃止を繰り返してきたが
2005年4月1日に路線が繋がっていた岐阜市内線・揖斐線・田神線と共に全線廃止されてしまった。

廃止の理由として乗降客の減少というのがあるが、
一番の痛手は岐阜市の支援を受けられなかった、と言うよりむしろ目の敵にされていた事が上げられる。
乗り入れ先の岐阜市内線が市中央部を路面電車として走っていたのだが、
併用軌道区間が市内道路のネック地帯となってしまい朝夕と大渋滞を引き起こしていたのだ。
そのため、岐阜市は60年代後半の頃から岐阜市内線の廃止を打診していた。
しかし、路面電車の価値がその後再評価されるようになり、
乗降客も当時はそこそこあったので廃止は免れたのだ。
が、同線に対して岐阜市はとことん冷遇し
電車の停留場の施設や軌道の安全対策に全くと言って良いほど支援をしなかった。
(末期は対策協議会を設置したりしたが、それでも岐阜県警は最後まで市内線には冷ややかだった)
その為か、利用客は徐々に減っていき、新車両の導入等をするがとうとう廃止となってしまった。

廃止されて一年ほど経った姿を見たわけだが設備は殆ど残され、今にも電車が走ってきそうだ。
廃線になってあっという間にその痕跡が消えてしまう路線もあるのに。

これはいったい何故?


線路ギリギリまで広げられた道路。
廃線後に広げられたというより、安全地帯を設置されている所から元からこうだったようだ。
半路面電車状態?


架線が引かれていない以外、現役同様の状態。
今にも電車が来そうで廃線っぽくない。



踏み切り廃止を表示する看板。
当然、その日付は美濃町線廃止の日。


新関駅。
列車交換が出来る立派な駅である。


駅前の駐輪場。
中には自転車が目いっぱい詰められている。
利用者はここからバス停まで向かっているのだろう


関川を渡るガーター橋。


かなり強引な線形の踏み切り。
1999年まで新関より美濃まで路線がのびていた。
新関〜美濃間が廃止後、『長良川鉄道』関駅構内へ路線を変更。
恐らく、ここが旧線と新線の分岐点なのでは?
(踏み切りをわたる道路が旧線跡?)


鉄道とは思えぬ急カーブ。
小柄な路面電車規格の車両ならでは。


関駅構内。
長良川鉄道の車両が留置されている。
で、美濃町線の停車場はというと、右端にちょろっと写っているレールがそうである。
以前はホームがあったのか、それとも路面電車車両なので最初から無かったのか?

レトロな関駅の駅舎。
長良川鉄道は国鉄越美南線として開業したが、赤字路線として一度廃止の危機に立たされた。
その後何とか第三セクター鉄道として生き長らえたが、今だ経営は楽観しできない(むしろ、いっぱいいっぱい)。



さて、一応廃線である美濃町線ではあるが設備は殆ど現役そのままである。
それは何故か?

実はなんと現在復活案が検討中であると言う。
廃止直前より岡山電気鉄道が経営支援を打診していたそうだが、
廃止後、関市内のショッピングセンターを経営する企業が美濃町線を復活させる事を表明したのだ。
今まで渋滞を発生させていた問題区間を改善させた上で、岡山電気鉄道に運営を委託。
さらには長良川鉄道の群上八幡駅まで乗り入れも検討されている。
長良川鉄道にとっても岐阜市中央部までの導線を引き入れられるのは有難い事ではないだろうか。

この美濃町線復活計画の背景には、2006年4月29日に富山ライトレールが開通した事が上げられる。
富山ライトレールは旧JR富山港線を第三セクター化し、
さらに一部区間を路面電車化、ゆくゆくは富山地鉄富山市内軌道線と接続して市内を循環させる予定だという。
地方都市郊外から市街地中心部へ人々を一気に運び込もうというのが狙いである。
富山ライトレールは路面電車の新しい形を示したのだ。

美濃町線復活計画は富山ライトレールの岐阜版を目指しているのである。
再び美濃町線のレールに列車が走るとき、それは地域の命運を運ぶ事になるのだ。


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