このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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奥多摩の廃線(水根貨物線)
かつて小河内ダムを建設する際に、
物資を大量輸送するため氷川地区(現在の奥多摩駅周辺)から建設地にまで鉄道が敷かれた。
奥多摩の険しい山並みを越えるためにいくつものトンネルと橋梁が建設され、
ダム建設工事用鉄道でありながら本格的な山岳路線となっていた。
その理由としてダム建設終了後に観光鉄道に転換される予定があったからだ。
しかし、ダムが建設されてからもう半世紀近くたっているが観光鉄道は一度も走っておらず放置されたままだ。
この路線、どう見ても廃線にしか見えないが、一応休止線として登録していて復活の希望を残しているらしい。
が、恐らく百年たってもこのまま放置されているだろう。
むしろ一部ではこの朽ちた線路を巡るのを目的に訪れる人も多く、
皮肉にも観光鉄道になれなかった線路自体が観光名所になってしまっている。
都道204号線から望む。
山の中にごちゃごちゃとしたセメント工場が鎮座している
青梅線の奥多摩駅からあの工場の合間を抜け日原川を渡る巨大なアーチ橋にいたる
廃線の橋とは思えない立派な橋梁である
だが、よく見ると橋の上は草が生い茂っているのがわかる。
奥多摩はセメント原料の石灰石の産地である
よって水根線には戦後まもない頃に建設されたのにもかかわらず
セメントをふんだんに使ったコンクリート建築物が多い。
山間の集落の上をまたぐガーター橋。
とても高い所を走っているが、老朽化して落ちてきたりしないのだろうか?
それとも現在の水根線の所有者である奥多摩工業が最低限の管理を行なっているのだろうか?
線路は青梅街道のそばを並走するように走る。
最初のうちは線路は道路のはるか高くを走っているが
ダムが近づくにつれその差が無くなってくる。
左の写真に写っている斜面。あれが水根線の築堤である。
青梅街道のすぐ傍にあるのだが、ずっと今まで単なる山の斜面だと思っていた。
たまたまこの時、青梅街道の古道を探索していて、この斜面に近づいた事により気付く事が出来た。
右手の写真には築堤を潜る通路と、それの上に上がる為の階段が写っている。
この時青梅街道の古道が一部崩れていて、その迂回路として水根線の路面が開放されていたのだ。
トンネルである
確かにトンネルならショートカットにはもってこいだが、一応仮設の照明がついているがちょい不気味。
ハイカーのおばちゃんが一人で潜っていったが不安じゃないのか?
てか、自分一人がヘタれなだけ?
とりあえず自分も少し中に入ってみる
すると・・・
うおっ!バッチリ線路残ってんじゃん!
ちょっと興奮しました。
しかし、線路が残っているのはここだけではなかった!
すっかり撤去されていると思った築堤上にも草に覆われながらも残っていた!
やはり、同じ廃線跡でも(ここは休止線だが)レールが残っているのと無いのでは
テンションの上がりが違う。
こっちはトンネルの反対側。
完璧に放置プレイ状態でススキに路面が覆われている
恐らくあの木々の向こうにもトンネルがあるのだろうが自分は行かない。
へタレだから。
ダムのすぐ手前にある青梅街道を跨ぐガーター橋。
ていうか木がトンネルから生えてない?
線路跡はこのすぐそばで広場になり、おそらくダム建設時にはヤードがあり資材置き場になっていたのだろう。
風張峠付近から望む奥多摩湖。
青梅街道は今でこそ全線二車線の道路だが、
ダム建設当時は大型車が入って来れないような狭い区間も多かったと思われる。
それゆえ山岳部に工事用鉄道をわざわざ建設するといった手間のかかる事をしたのだろう。
で、その建設時にかかったお金を少しでも返済するため観光鉄道転用という案が出てきたのではないか。
ダム湖以外何も無い山中に観光鉄道を走らせるというのはちょっとムリがあったかもしれないが、
東京都の発展に必要不可欠であったダムの建設に大活躍をした鉄道として
我々の記憶に水根線は残っていくだろう。
(公開当初、ダムの名称を奥多摩ダムと記入してしまいしたが、小河内ダムが正式名称です。失礼しました。)
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