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JR335-1・日セ JR〜97年①
・日セとは日本セメント(株)埼玉工場を通称地元では「日セ」と呼び、八高線貨物列車の大半は秩父セメント及び日本セメントの貨物が主力で
このセメント会社も企業合併にて「太平洋セメント」となり現在では原料及び製品の輸送は鉄道以外で行っており寂しさを感じる。
97年当時は合併前で又製品も鉄道輸送を高崎のDD51が分担し高麗川駅より専用線に入線していた。
・工場ヤードより入換DLの見送りを受けて出発するセメント列車で右側信号所の奥には鉄道要員詰め所があり入口には
生産課輸送係の看板が掛けられていた。 尚専用線内はタブレットを用いており右側を歩いている職員が出発時に
機関士に手渡しをしていた。 8804 DD51895
・左端の建屋が信号所で2Fより場内信号と高麗川駅との連絡や切替を行っていた。 9503〜04 DD51842
・単機にて工場を出発するところで手前の通路(枕木)は工場内敷地の通路である。 9502〜03 DD51810
・専用線区間には5箇所の踏切がありこの踏み切りは工場に最も近い踏切で二輪車までは通行が可能で高麗川駅より
約1K弱で工場敷地外では撮影ポイント場所でもあった。 9502〜03 DD51810
・長いホキを連ねて重連の先頭は842号機だ。 9503 DD51842
・高麗川駅より単機重蓮で貨物を取りにきたところで右の線路は構内貨物引上げ線でDD51は入線しない。
9509 DD51841
・以前は大宮→田端のDE10も工場に入線していたが川越線の貨物廃止に伴いDD51だけとなった。
9401〜03 DD51888
・日セの操業開始は昭和30年(1955年)で恐らくレールもその当時のままと思われ左端の速度標識も専用線らしい。
尚 私事ではあるが子供の頃家族で現在の日高市へ移り住んだ年でもある。 9405 DD51808
・専用線のほぼ中間にはカーブがあり手軽に写す事が出来る場所で後方の踏切が駅より2番目の踏切である。
9404 DD51888
・このカーブ付近は築堤となっていてスッキリした写真が撮れた。又この専用線は通勤通学の為には生活道路でもあった。
9406〜07 DD51811
・室内は蒸し暑いのか足元のカバーを開けて外気を取り入れていた。 9409〜10 DD51815
・JR用地から専用線に入ったところで後方右側には教会の十字架が見受けられる。 9409〜10 DD51809
・撮影ポイント付近には信号機が設置され貨物列車の停止や駅北側の踏切り(川越・八高・専用線の3本)による
交通の停滞が多く発生していた。 9406〜07 DD51815
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