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平成19年春 113系勇退記念編集
近郊形113系電車

鉄道に興味を持ったころから、静岡の街を頻繁に走っていた113系電車。
当時は「近郊形」という名前を冠し、セミクロスシートを配置し
通勤ラッシュと中距離輸送の両方をこなす万能電車として全国区で活躍しました。

その113系も平成19年3月のダイヤ改正で静岡からの勇退していきました。
113系が東海道線、山陽線であたりまえの活躍をしていたころのアルバムです。

▲静岡駅で発車を待つ113系静岡始発の東京行きです。
静岡運転所の113系は東京乗り入れ車のみ号車札を入れていました。
普通車はもちろんのこと、2両つないでいたグリーン車も非冷房の時代でした。
昭和48年8月の撮影です。






▲こちらは静岡地区下りローカルの浜松行きです。
東京乗り入れのT編成はサロ2両組み込みの11連。
静岡地区ローカル運用車はL編成4連×2の8連が基本でした。
写真の電車は朝のラッシュ時運用のため8連+付属4連の12連で運行していました。






▲昭和52年3月までは、静岡運転所に配置された113系はグリーン車も含めて非冷房車ばかりでした。
その静岡区にはじめて113系冷房車が新製配置され
昭和52年3月、静岡〜沼津間の普通電車に運用を始めた時の姿です。

その後グリーン車も冷房改造され、新製された冷房車は東京乗り入れのT編成に組み込まれました。
余剰の非冷房113系は新たにS編成6連として組成され、
最終的に80系が静岡地区から勇退することになりました。

それから30年、80系を引退に追い込んだ113系は、
新製の313系に今後を託そうとしています。








▲函南駅での東京発沼津行きの大船の113系付属編成4連です。
当時天下の東海道線を4連で走るとはあまりに短い編成でした。
東京発の時点で沼津・伊東行き15連で出発し
熱海で基本11連が伊東線に入ったあとの姿です。
昭和52年4月の撮影です。





▲こちらは大船電車区から転属しスカ色のままで静岡ローカルに入る111系です。
国鉄時代は大船のお古が静岡に回されるパターンは多く見られました。
湘南色に混じってスカ色がはさまり異彩を放っていました。
昭和47年10月、静岡駅にての撮影です。






▲113系の車内風景をお目にかけましょう。
こちら島田発東京行き静シスT編成の車内です。
クロスシート部は座席ピッチ座席幅ともに急行形153系のシートより小さく
その分通路を広くとってありました。
昭和48年8月の撮影で当然非冷房車です。





▲こちらはそのT編成に組み込まれたサロ111の車内風景です。
これでも営業車で静岡地区では当時グリーン車は空気輸送でした。
臙脂のシートに白いシートカバーがまぶしく
蛍光灯も2列がずらっと並びまぶしいほどでした。
昭和48年8月の撮影で非冷房のサロでした。






▲静岡駅を出発したばかりの113系L編成8連の浜松行きです。
昭和47年3月改正から三島〜浜松間に1時間ヘッドで快速電車が走り始めました。
その名も「ブルー快速」。
写真の電車はブルー快速の間合い使用で、愛称札さしに「快速」の表示を裏返しにしたサボを入れているのがわかります。
「ブルー快速」は快速の停車しない駅の列車本数が1時間に1本と減少したことで
かえって不便になり数年で取りやめてしまいました。
昭和47年8月静岡駅西方西門町踏切にて、O氏撮影です。





▲小田原駅での静シス113系S編成6連×2の12連東京乗り入れ編成です。
東京乗り入れはサロ付T編成11連が普通でしたが、例外的にサロなしS編成12連も見られました。
昭和56年上條健一氏の撮影です。





▲湖西線開業用に投入された113系700番台が、
山陽線普通電車の運用についています。
シールドビーム、ユニットサッシュ、そして冷房装置が搭載された姿は、当時の最新ルックでした。

後方には駅で退避中らしい前照灯が一つのEF60の姿が見えます。
ひところの直流幹線線区ならではのシーンです。

昭和50年 加古川にて
ゴンパパ氏撮影




▲名古屋駅でのEF58の牽引する荷物列車と、
愛らしい113系のデカメ車の出会いです。

題して『ゴールデンカップル in 名古屋』
命名は撮影者であるゴンパパ氏

全くそのとおりですが、、当時はEF58の方が113系より格上の存在でした。

撮影は約四半世紀前の昭和58年。
JR東海には次々にJR世代の車両が開発されて、この眺めは隔世の感があります。




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