このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

20系固定編成客車

・昭和33年に登場。国鉄車輌史に残るあまりにも有名な客車です。
・登場当時は連結自由な一般客車と区別する意味で、固定編成客車と呼ばれました。
・昭和47年の14系登場により少しずつ第一線から退きつつあった頃のスナップです。
▲静岡駅を通過する上り(富士)です。静岡駅を通過する寝台特急は他にも20系(あさかぜ)や(出雲)がそうでした。
上り(富士)は浜松に停車すると次は熱海まで無停車で、現代のような停車駅の安売りは寝台特急には見られませんでした。
停車駅が少ないのにもかかわらず、連日
寝台券は売り切れ満席!!状態でした。

静岡駅構内の架線柱は一本式ビーム、
昭和24年電化開業当時のままの姿です。
昭和47年10月の撮影です。



▲ロネやロを何両も連ねた殿様(あさかぜ)が博多に着いたところです。
(あさかぜ)は一番はずれの8番ホームに到着で、隣では来春の開業をめざして、新幹線の工事がたけなわでした。
昭和49年8月の撮影です。




▲昭和50年3月に静岡駅で撮影した上り(はやぶさ)です。
ディーゼル発電の大音量を響かせて東京をめざします。
「次の停車駅は横浜」というホームのアナウンスに特急列車の風格を感じました。
151㎞の無停車です。

写真でははっきりしませんがバックサインの地色は黄色でした。
カニの次位はオールプルマン式のナロネ22です。




▲昭和50年3月までは(あさかぜ)は3往復ありました。。
内2往復は博多行きでしたが、1往復は下関行きで、平成17年3月まで運行されていた列車です。

写真はその下関発の上り(あさかぜ)で東京方7両は広島から増結となっていました。
広島回転は前身が急行(安芸)だっだことのなごりです。

ドアには「手であけてください」の文字が見えます。
20系のドアが走行中だけロックされる手動式であることがわかります。
昭和50年3月静岡駅にて撮影。




▲昭和50年、山口県は新南陽付近でゴンパパ氏が撮影されたの博多行き【あさかぜ】です。
博多行きの【あさかぜ】はロネを何両も連ね、おまけにグリーン車の連結もあるなど、
20系ファンにはたまらない列車でした。

静岡駅では全容を見ることができなかった、ナハネフ22の後ろ姿です。
展望室では鉄ちゃんが、カメラを構えて撮影中のようです。



▲闇に浮かびあがる【出雲】のバックサイン。
赤いテールランプを残して、はるか遠くの地方に旅立つその後ろ姿に、
少年時代強い憧れを感じたものでした。

少年時代の
老いて27000氏が大船駅で昭和47年にとらえた会心の御作です。
弊掲示板の20万ヒットにちなんでいただきました。






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