このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
旧型国電
飯田線・身延線・番外編
・昭和40年代当時、大都市圏から転属した旧型国電が、地方の電化路線で活躍していました。 中でも静鉄局管内の飯田線・身延線の旧国は美しいスカ色で塗装され、 車両のバラエティーも豊富で、興味の尽きない路線でした。 |
▲昭和49年6月、身延線芝川駅での撮影です。メモにはクハ65とあります。 運転台の前面窓のみHゴム支持のタイプです。 左右両方の窓ともにHゴム支持の車両もあって、形態のバラエティーさが旧国の魅力でした。 |
▲サハ45005の車内風景です。昭和49年6月、芝川停車中に撮影しました。 車内はがらがらで元ロ車の重厚なシートがもったいないほどです。 ひじ掛けとそれを支持する銀メッキのパイプの緩やかなカーブがとても優美でした。 シートピッチもたっぷりあって、座ると落ち着いた気分になりました。モケットは青色です。 |
▲豊橋駅に入線する、クモユニ81です。クモユニ81は元々80系の一族でしたが、 このころ東海道線の荷物電車は切妻3枚窓のクモユニ74が使われていて、 東海道線を追われたクモユニ81がスカ色に塗り替えられて、飯田線で活躍していました。 昭和49年8月の撮影です。 |
▲豊橋〜豊川間短区間運行のクハ55です 。前面サボには13時39分と表記が入っています。 写真の右側に豊橋駅のコンコースがあり 飯田線利用客に何時何分発のどこ行きか、掲示しているのでした。 発車時刻になると車掌がサボをはずし、ホームに置いて電車が出発していきました。 |
▲前面は旧型国電標準の面構えですが、 側面は第二次流電と同じノーシル・ノーヘッダーで広窓を採用しているため「合いの子」と呼ばれていました。 今見ても側面は客車のような大変スマートなスタイルです。 昭和49年8月豊橋駅での撮影です。 |
▲飯田線での一番人気は元関西の流電クモハ52でした。 管理人はこの面構えを見るとなぜか覆面レスラーを連想してしまいます。 運転台が広々としていて居心地がよさそうです。 中央にタブレットがかかっているのが見えます。 昭和49年8月本長篠駅での撮影です。 |
昭和62年に購入したオレンジカードです。 それによると流電の引退は昭和53年11月だったことがわかります。 | |
こちらはクハユニ56のお別れ運転のオレンジカードです。同じく昭和62年に購入しました。 お別れ運転の日付は1983年(昭和58年)6月とあります。 運転台窓がHゴム支持になっています。 |
▲番外編の写真を2枚お目にかけます。 最初は大井川鉄道千頭駅構内に留置されていた旧型国電です。 それもダブルルーフの古いもの。 当時の千頭駅では、内部を展示室として活用していて、古い電車写真が掲示してありました。 すでに当然車籍はなく、静態保存されていましたが、いつの間にか整理されてしまいました。 昭和50年撮影 O氏撮影 |
▲もう一枚は、伊豆箱根鉄道で活躍していた旧型国電です。 伊豆箱根鉄道色に塗られていても、一目見るなり、元国有鉄道の電車であることがわかります。 おでこには66とありますが、国鉄時代はクモハ12を名乗っていました。 撮影は、昭和48年ですが、その後ろに入線している電車も同型のようです。 三島駅にて O氏撮影 |
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