このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
山陽本線 加古川界隈
ゴンパパさまのアルバムから
ゴンパパさまからいただいた加古川付近の山陽本線全盛期の画像です。
懐かしい国鉄型機関車ののオンパレード。
機関車の迫力と写真のきれいさに圧倒されます。
▲昭和49年5月、上り特急(あかつき)が朝日を浴びて大阪をめざします。 当時関西〜九州間の寝台特急は(あかつき)系統だけで7往復を数え、 これに(明星)(彗星)系統が加わるのですから大変なにぎわいでした。 |
▲昭和49年7月、加古川駅に停車中のヘッドマーク付急行(鷲羽)です。 昭和47年新幹線岡山開業までは、何往復も設定されていた(鷲羽)でしたが、 岡山開業後は夜行の1往復のみとなりました。 大阪を深夜に出発して、未明の宇高連絡船に乗り継ぎ、 高松で朝一番の下り急行に接続していました。 |
▲昭和50年3月、加古川駅に揃った三つの役者です。 左から(あかつき5号)、時間調整中のEF60貨物列車、 そしてEF58牽引の郵便荷物列車がうまく重なりました。 (あかつき5号】の牽引機はEF65とすると、 直流大物電機が加古川駅に3機集結したことになります。 |
▲昭和53年、113系に混じって活躍するデカ目の115系です。 撮影地点は加古川駅東方の田圃が広がる見通しのよいところでしたが、 高架工事でこの景観は過去のものとなりました。 |
▲昭和53年、EF60の牽く貨物列車です。 今では見られなくなった黒い貨車を何両も従えた堂々たる編成です。 幹線筋ではこういう貨物列車が何本も設定されていました。 大目玉の前照灯に力強さを感じます。 |
▲列車の遅延は、お客さんには迷惑ですが、 時として鉄道ファンには思わぬシャッターチャンスを提供してくれます。 ゴンパパ氏が初めてそれを写したのが 昭和49年年12月28日。 前日北九州で事故があり、大変な遅れが出、ここ加古川をお昼前後に通過した(あさかぜ51号)が記録できました。 牽引機はEF65の1000番台。 次位には座席車改造の狭窓ナハネフの姿が見えるレアな列車です。 |
▲(あさかぜ51号)と同年同月同日に撮影した(みずほ)。 (みずほ)のヘッドマークはもともと目立たないものでした。 さらに言えば、当時中学生だった私には(みずほ)のヘッドマークのデザインが、 何を意味するものかよくわからなかった・・・ そのヘッドマークがさらに汚れでよく見えなくなっているのもご愛敬でしょうか。 今見ると、バックに写る加古川気動車区のキハ30たちにも心が惹かれます。 |
▲浜松機関区EF58の2号機が牽く、荷物列車が加古川駅に到着しました。 ホームでは短い停車時間を使って、荷物の積み下ろしが行われていますが、 何より目立つのは機関車や客車から立ち上る蒸気暖房のけむりです。 こういう光景は冬の鉄道の風物詩でした。 昭和50年撮影 |
▲あかつきのヘッドマークをつけて山陽本線を上るEF58の晴れ姿です。 撮影は昭和50年ですが、当時EF65やEF66といった新鋭の機関車の中で、 すでにEF58にはベテランの機関車でありました。 そのEF58がヘッドマークをつけて山陽本線を往来する姿は、 まさに老兵健在を世に知らしめました。 |
▲同じく、昭和50年撮影のEF58の姿です。 スハ43ばかりで組成された列車は、臨時の座席急行列車でしょうか。 当時は年末年始など九州から関西や東京をめざす、 このような座席車主体の臨時急行が何本か運転されました。 |
▲一瞬の出会い 〜EF58と153系の出会いです。 171号機は前面Hゴム仕様で、スリムなパンタを装備した姿です。 昭和49年12月撮影 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |