このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
キハ55・キハ58系
▲昭和30年東京〜日光間にデビウした準急(日光)に使われた初期車のキハ55です。 よく見るとバス窓なのがわかります。 昭和51年には磐越東線の普通列車に使われていました。 昭和51年3月平駅にて撮影。 |
▲昭和55年3月に大船渡線盛駅で撮影した岩手開発鉄道の気動車と並ぶキハ26 400です。 キハ26 400はキハ55系の並ロ車として登場した転換クロスシートを持つ車両で、 スハ44を思わせる狭窓がずらりと並んでいました。 登場当時はキロ25を名乗っていました。 写真の車両は大船渡線で使用されていて、 モケットは青色になったものの、昔のままの乗り得なロマンスシートを備えていました。 |
▲高知区のキハ55です。こちらは後期形のキハ55でバス窓から、一枚窓になっています。 土讃線の普通列車に使用されていたときで2両目は一般色のキハ20が連結されています。 気動車の普通列車はいろいろな形式が混結されているところに面白さがありました。 スイッチバックの新改駅から阿波池田方面に向かうところです。 昭和52年5月撮影。 |
▲同じく新改駅を通過する急行(土佐)のキハ58です。 四国総局では昔の慣例を守り急行列車にも律儀にヘッドマークをつけていました。 のちにこのヘッドマークは路線カラーに合わせカラー化されましたが、 写真のものは急行の赤文字と土佐の青文字だけのシンプルなデザインです。 昭和52年6月の撮影です。 |
▲土讃線新改駅のスイッチバックは写真のようになっていました。 山深くあたりに何もないところに、線路だけが複雑に分岐していて興味深いです。 新改駅を通過する特急や急行列車はスイッチバックを通らずスルー運転します。 しかし、例えば高知方面下り普通列車であれば、 高松方から坂を下りてきてまず側線に入り、 次にソロソロとバックして、写真手前の新改駅に入ります。 客扱いが済むと再び向きを変えて高知方面の本線を駆け下りていくわけです。 客車列車の場合このショーが特に緩慢に行われ、毎度楽しんだものでした。 昭和52年6月の撮影ですが、森に囲まれてあたりはひんやりとしていました。 |
▲高知駅では発車を待つ下り普通列車です。先頭車はキユ25がつとめます。 エアコンがついた郵便車で前面はキハ65そっくりです。 その後ろはキニ?さらにその後ろに20系気動車と続きます。 旅客車は非冷房で、郵便車は冷房付きという何とも差別的な編成でした。 昭和53年3月の撮影です。 地平ホームの高知駅は高架化工事完成で過去のものになりました。 |
▲昭和53年から四国の急行列車のヘッドマークが一新されました。 土讃線急行は赤地に白抜き、予讃線は青地、高徳線は緑地とそれぞれのラインカラーに合わせたものになり、 今までのマークより遠目でもはっきり目立つようになりました。 イラストを入れるとさらに魅力が増したのですが、当時はヘッドマークをつけない急行列車がほとんどの中、 四国の急行列車には及第点はあげられると思います。 いつもは4連のことが多い急行(土佐)ですが、 この日は春休みの多客期のため6連の長大編成でした。 昭和53年3月高知駅での撮影です。 『高知の鉄道』 の九朗様より、写真の車両はキハ58 194ではないかと情報をいただきました。 昔からスカートをつけていたそうです。スカートの有無など指摘されるまで気がつきませんでした。 |
▲高松駅で発車を待つキハ65の急行(うわじま)です。 四国のキハ65は中間に組み込まれて指定席車に当てられることが多かったのですが、 この写真では先頭車に連結される編成になっています。 キハ65はキハ58よりゆったりとしたシートを備え、 分岐を通過するときのエアサス台車のゆさゆさという揺れがたまらなく好きでした。 車内は12系客車そっくりでした。 昭和52年7月の撮影です。 |
▲徳島駅で発車を待つキハ28の急行(阿波)です。 (阿波)には1形式1両の珍車キロハ28が組み込まれていました。 ところで上2枚の写真にはバックにバス窓のキハ20やオハ35が写っています。 なぜきちんと撮っておかなかったのかと今になって後悔しております。 昭和52年7月の撮影です。 |
▲昭和53年3月の奈良駅です。 当時の電化は奈良までですから、加茂方面へはすべて気動車に乗り換えとなります。 写真は先代の名古屋行き急行(かすが)です。 その後キハ75にグレードアップされましたが、 おしくも廃止になってしまいました。 隣の快速電車にはヘッドマークがついているのに、 (かすが)にはついていないことが大きな不満でした。 |
▲昭和58年、特急(はまかぜ)と急行(みささ)がまさに横並びに揃った一瞬のショットです。 山陽本線加古川界隈にはバラエティーのとんだ列車たちが、 次から次へと駆け抜けていきました。 加古川にてゴンパパ氏撮影 |
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