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お宝 その7 珍券・硬券・補充券

▲昭和47年8月に博多〜長崎間を乗った20系(はやぶさ)のヒルネ券です。普通周遊券で旅行したため、キップがこのスタイルになっています。
(はやぶさ)は東京〜西鹿児島・長崎を結んでおり、鳥栖から付属編成が長崎まで入りました。私の記念すべき20系初乗車で、鳥栖でカニ21の変わりに、とても20系の一員とは思えないマヤ20が電源車として連結され、がっかりしたものです。
今ではマヤ20はとても魅力的な存在ですが、当時はマヤ20に変わったとたん、冷房の利きが悪くなったように感じたものでした。
20系の車内は、壁に防音用の放送局のスタジオでよく見られる、小さな穴が開いていて14系に比べて、古くさい気がしました。

▲忘れもしない昭和49年3月25日、母、妹それに私と3人での博多の親類を訪ねての旅行。
新幹線新大阪乗り継ぎ(あかつき4号)で博多へ向かう予定でした。ところが新幹線車内での乗り換え放送
本日順法闘争の影響で(あかつき4号)の運転をとりやめております。という無情のアナウンス。当時「順法闘争」という名称で国鉄はたびたびストライキを実施しており、その対象列車として(あかつき4号)が指定されたのでした。
昭和45年、左ト全とひまわりキティーズのヒット曲『老人と子どものポルカ』の中に、世の中でやめてほしいものが、「ストライキ」「内ゲバ」「交通事故」だと歌われていますが、このうち「ストライキ」と「内ゲバ」の二つは、今では完全な死語ですね。
新幹線を降りたとたん、我々は力が抜けてしまい、今夜は大阪に宿を取ろう、などと母と話し合いましたが、乗り換えコンコースに来ると駅員が臨時の窓口を開いています。
さっそく、あかつきの寝台券を見せると、寝台券と引き替えに、写真の業務連絡書をくれたのです。
災い転じて福となす。(あかつき)Bネから
(明星3号)グリーン車への上級乗り換えが認められました。差額は要求されませんでした。思っても見なかった、私にとっての581系初乗車はサロ581でした。天井の高い開放感あふれる車輌でした。
▲ 順法闘争で運転されなかった昭和49年3月25日幻の(あかつき4号)の寝台券です。
みどりの窓口で、母、私の大人2枚の寝台券と当時小学生の妹の子ども用のあかつき寝台券を買い求めたのですが、なぜか子供用だけあこがれの硬券で発券されました。
しかも、(明星3号)の寝台券と引き替えるとき、駅員が子ども用キップの回収を忘れたため、そっくり手元に残りました。
大事に保管していましたが、30年たった今、緑の地紋が消え始めています。
▲蒲田の交通公社で購入した(瀬戸)の寝台券。マルス旧型で発券してくれるとふんだのですが、何と差し出されたのは、手書きの補充券でした。
右に距離と寝台種別によってそれぞれ違う寝台券が発行できるように工夫されています。
この頃の(瀬戸)は最新鋭の25系二段ハネでした。25系は宇野駅では駅員が丹念に洗車して大事に扱われ、側線で昼寝していました。
▲昭和58年8月九州旅行の帰路にのった(みずほ)のものです。オロネ14プルマン式Aネに乗りたかったのですが、旅程の都合で、長崎から発たなければなりませんでした。
ところが(みずほ)の長崎編成にはAネが連結されていません。そこで鳥栖までBネに乗って、鳥栖から熊本編成に連結しているAネに乗り換える変則措置がとられました。
そのキップが写真のものです。ペラペラの補充券です。
記事のところに「長崎鳥栖間不連結」と注意書きがあります。
はじめて乗ったA寝台車オロネ14。乗り心地、夜景の映りぐあい、寝台幅、すべてに満足でした。さらに夜間、通路にフットライトがやわらかに点灯しているのに大感激してしまいました。
近鉄特急券です。昭和49年11月に津から名古屋まで乗りました。当時国鉄紀勢本線は快速(みえ)の登場前で、人気がなく、それに引き替え近鉄は特急電車を頻繁に走らせ、ロマンスシートの車内が輝いていました。
国鉄のマルス券より小振りで、駅名がきちんと漢字表記になっています。
▲昭和40年代末から550年前半に国鉄各駅で発売されていた、ペラペラの自動販売機発行のキップです。
きちんとキップホルダーに保管しておいたにもかかわらず、30年たった今ご覧のとおりのノッペラボーの状況です。
よく観察すると、全く退色しているもの、日付と発行番号は残っているもの、全体がうすぼんやり残っているもの、多少色が薄くなったがほぼ完全に残っているもの‥いろいろなタイプがあるのに気づきます。
同じ条件で保管しているのに、この違いはインクに関係があるのでしょうか。

東海道線ローカルの普通電車グリーン券
現在東海道線沼津以西は、普通列車グリーン車不連結になってしまいましたので、もう普通列車グリーン券は買うことができません。
当時の東海道線の普通列車グリーン車は113系組み込みの、サロ1110,111がほとんどでした。これは特急普通車と同じ回転クロスシートであまり魅力はありませんでした。
しかし、数本はチタやカキの153系がローカル運用に入り、これには急行用リクライニングシート装備のサロ153,163が連結されお値打ちでした。写真のグリーン券はすべてこのお値打ちサロに乗車したときのものです。
(なんごく4号)と言っても高知〜松山急行バスの乗車券です。列車顔負けの硬券きっぷで感激してしまいました。
昭和53年3月、本州に渡ったのですが、高知から松山にでて、客車鈍行をつかまえ、予讃線のスタンプを集めながら、高松に向かいました。
小田急ロマンスカーの特急券です。号車と座席番号が斜めに押されています。駅員が相当あわてていたのでしょう。11号車1103番は一見ゴム印のようですが、印字機によって押されたものです。
▲昭和49年3月九州旅行の帰路に乗った(つばめ)の自由席特急券です。指定席が満席で、自由席に乗車しました。新造されたばかりのクハ485 200番台でしたが、岡山まで春休みの最中で超満員でした。
自由席特急券なのに、(つばめ)(なは)と列車名が入っているところが気に入っています。
選択式の乗車券です。「着駅は最下段」と但し書きがあります。発駅からの需要が少ない目的駅へのキップはこのような様式が売られていました。大歩危から朝倉など需要が結構ありそうですが、選択式乗車券でした。しかもサイズは切手を少し大きくしたぐらいです。行き先が土佐一宮だったらおそらくキップサイズは、史上最小!!紛失に注意!!

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