このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

モハ80系

戦後間もない昭和24年に登場。国鉄車輌史に残るあまりにも有名な電車。
普通電車はもとより、全盛期には準急、急行電車にも活躍。
静岡区では昭和52年まで113系とともに、東海道ローカルで活躍。
管理人が初めて乗った国鉄車両が80系電車。
昭和52年に113系冷房車の新製配置により静岡区より撤退。
▲静岡駅下りホームで発車を待つ7両編成の80系電車です。
当時としては7両では短い編成でした。
上りホームにはグリーン車2両つきの113系11連が停車中です。
今になると優等車両の淡緑帯の色合いが懐かしく感じます。
このサロは昭和52年ごろまで非冷房でした。

ホームの屋根の上には当時の静岡駅名物長大跨線橋が延びていて、
ホーム経由でも、跨線橋経由でも改札に行くことができました。
昭和47年10月静岡駅にて撮影。



▲静岡駅下りホームで発車を待つ同じく7両編成の80系電車です。

上りホームには165系の5練の甲府行き(富士川1号)が停車中です。
(富士川は名カキの受け持ちでした

。静岡駅の高架工事が始まって、上りホームや跨線橋は仮建築です。
昭和52年3月撮影。



▲静岡区の80系は7両1編成で組成されていました。
朝と夕のラッシュ時には2編成をつなげて堂々14連で運転しました。
写真はその中間部の顔と顔をつき合わせたところです。

引退間近の昭和52年3月静岡駅にて撮影。



▲クハ86 0番台の車内です。クロスシートの幅は300番台全金属車より狭めでした。
内装は木目を生かしたニス塗り仕様になっています。
茶色の色調のため300番台より暗い印象です。
右に見える板の部分はデッキに入り口のある便所です。



▲安倍川東方ですれ違うどちらも静岡区の113系と80系0番台車です。
当時は113系がより明るくかっこよく見えて人気がありました。
昭和47年10月の撮影です。




▲函南駅ホームに入る静岡区の熱海行き80系7連の全景です。
この直後80系は113系におきかえられました。
函南駅の架線アングルは丹那トンネル完成当時の戦前からのものです。
昭和52年4月撮影。




▲こちらは広島地区で活躍する80系電車です。前面が3枚窓の初期車です。
登場当時は木製の窓枠がついていましたが、更新修繕でHゴム支持になったものです。

広島駅では、高運転台のクハ153や113系の姿が見えて当時の直流電車の主力が勢揃いしていました。
昭和52年7月撮影。



▲こちらはゴンパパ氏の名ショット。
昭和50年、加古川駅を出る西明石発の80系電車です。
このころ山陽本線の普通電車は113系化されましたが、
早朝の下りと深夜の上りに一往復80系の運用が残っていました。
管理人にとって、80系とDD13の出会いもとても懐かしいものです。



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