このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

東海道線静岡西門町界隈

少年時代、自宅から自転車を走らせて毎週通った静岡市内は東海道線の西門町踏切。
東海道線の静岡駅付近はまだ高架化されていなくて、
踏切横の宝台橋へ上る階段から首を伸ばして飽かずに通り過ぎる列車を何時間も眺めました。

いっしょに付き合ってくれたのが幼稚園、小学校、中学校と幼なじみのO氏。
O氏は父親譲りのカメラを携えて、通りりすぎる列車を何枚も撮影していました。
お気楽なウォッチング専門だった私に対して
O氏は中学生の頃から走行写真に挑戦していました。
力作写真はすべて
O氏撮影です。
▲まずやってきたのはEF65 133の牽く下りの貨物列車です。
当時の貨物列車はこのような種々雑多な貨車を牽いて、
当時の東海道線を頻繁に往復していました。
従えている貨車はどれも個性的なクルマばかりで、
今考えてみると真面目に一両一両撮影したかったと思っています。

シャンソンのビルが見える向こう側が静岡駅構内です。
昭和47年7月の撮影です。






▲こちらは、EF65 32の牽く上り貨物です。
一方すれ違うのも貨物列車でこちらはEH10の牽引。
来るのも行くのも黒い貨物列車でした。
最後尾には律儀にヨが連結されていた時代です。
昭和47年7月撮影。






▲上り特急(富士)が安倍川からの高架線を駆け下りて
静岡駅構内に進入するシーンです。
当時の(富士)は静岡通過で、しかも東京〜西鹿児島間を日豊本線経由で結んでいて
運転時間は一昼夜。あこがれの特急でした。
昭和47年7月の撮影です。





▲先の(富士)の最後尾の姿です。
カニ22がディーゼル音も高らかに目の前を通り過ぎていきます。
西門町での列車見物の最大の目的は、ぞくぞく東上してくる寝台特急群を見ることでした。
どの列車も編成中央にナシ20が連結され、目の前を通過するたびにいいにおいが漂ってきました。
朝飯抜きで見物にきている私にはこのにおいはこたえました。

寝台特急の見物は、視覚、聴覚、そして嗅覚までフルに使って楽しむことができました。
昭和47年7月の撮影です。





▲上り特急(あさかぜ2号)の姿です。
(あさかぜ)は当時3往復の運転で
そのうち1号が下関発,2号,3号が博多発でした。
写真の(あさかぜ2号)は一人用個室,二人用個室,グリーン車を連結した豪華編成で
当時のあこがれの的でした。
ただ一つ静岡通過が残念なことでした。
昭和47年7月の撮影です。






▲上り特急(あさかぜ2号)の後ろ姿です。
カニ22を最後部にして過ぎ去っていく美しい姿です。
カニ22の手前はナロネ20・・・生涯(あさかぜ)と運命をともにしました。
A寝台一人用,二人用個室の合造車です。
昭和47年7月の撮影です。






▲コンテナだけで編成されていた貨物列車の姿です。
今でこそ東海道線の貨物列車はほとんどがコンテナ貨物ですが
当時はオールコンテナ編成はかなり珍しかったです。
写真のコンテナ貨物は台枠が茶色の普通コンテナでした。
おそらく機関車はEF65だろうと思います。

特急コンテナは台枠が青でEF66が牽引していて、本数が少なくあこがれの存在でした。

写真に見える陸橋が宝台橋です。
写真向かって左側に陸橋に上がる階段があって、ここが定番のお立ち台でした。
ワイシャツ姿の中学生が管理人です。
昭和47年7月の撮影です。






▲下り普通電車80系の姿です。
静シス静岡運転所の80系は7両編成で、朝夕のラッシュ時には
堂々の7連×2の14両編成が見られました。
短編成が日常化した今の静岡地区では信じられない光景です。
昭和48年8月の撮影です。






▲宝台橋から撮影した東海道新幹線新大阪行き(こだま)0系の姿です。
右を走るのが東海道線で新幹線との間の土地に鉄道官舎がありました。
今は東海道線が高架になって、新幹線と寄り添うように走り
鉄道官舎が建っていたところは、ビルに生まれ変わりました。
昭和47年8月の撮影です。





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