このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

鉄道グッズ

国鉄からJRに移行された昭和末期は、旧国鉄の部品が大量に放出され、安価で購入できた時期でした。
デパートの鉄道部品即売会や鉄道グッズショップにたびたび通って、せっせとコレクションしました。
せっかく購入したにもかかわらず、鋏や国鉄文字入りのアナログ温度計など引っ越しによって紛失してしまったグッズもあります。





  
0001▲寝台特急「北陸」用の1人用個室A寝台車「シングルデラックス」に改造のため不要になったオロネ14の寝台表示です。
平成元年に鉄道部品屋で購入しました。
オロネ14形形式消滅の今、
寝台券は売り切れ満席!!の時代を伝えるものとして、今でも大事にしております。
一枚のプレートの表が3番寝台、裏が5番寝台になっています。





0002▲オハネ14形三段寝台が二段化されたとき不要になった三段ハネ寝台表示です。
昭和62年に鉄道部品屋で購入しました。
三段寝台など時代遅れとなった今、
寝台券は売り切れ満席!!だったよき時代を物語る大事な一品です。





0003▲静岡県小笠郡大須賀町(現掛川市)に在住していた長老から昭和49年に譲り受けたプレートです。
「静岡鉄道駿遠線」の
軽便客車の製造銘板ということでした。
それが本当ならうれしいのですが、長老が他界した今、真偽のほどはわかりません。
長老の言葉を信じて今でも大切に保管しています。





 
0004▲静岡県小笠郡大須賀町(現掛川市)に在住していた長老から昭和49年に譲り受けたサボかけです。
「静岡鉄道駿遠線」の軽便客車のものということでした。 客車中央窓下に取り付けられ、そこにサボをかけて使用したと思われます。
2個一組がそろわないと一人前ではありませんが、長老からいただいたのは一つきりでした。




0005▲非常用ドアコックの位置を示すプレートです。
管理人は東海道線で80系が全盛だったころから見慣れてきたプレートです。
昭和63年に鉄道部品屋で購入しました。
昭和24年の桜木町事件の教訓を生かして取り付けられるようになったとか。
今のJR車両にも貼られているのでしょうか。




0006▲上野駅につるしてあった急行(おが)の乗車位置をあらわすプレートです。
昭和62年に鉄道部品屋で購入しました。
東北新幹線開通前の上野駅は、東北本線全盛時代で、こんなプレートが針金で吊られて所狭しとのれんのようにぶら下がっていました。
急行(おが)は上野〜秋田間をキハ58系9連を使用し、昭和57年11月まで活躍していました。





0007▲昭和62年ごろデパートの国鉄部品放出会で購入しました。
忘れ物の傘も一本100円で売られていました。
10系客車の帽子かけということでした。
下のフックに帽子をかけ、上のフックに上着を掛けるという一石二鳥の製品です。
我が家の玄関に取り付けられ、コートや帽子をかけたりと現役ばりばりで活躍中です。
素材はアルミ製のようです。




▲上の帽子かけと同じタイプの現役写真がこれです。
クハ153登場時の写真です。
昭和34年 
奥野利夫氏撮影






0008▲こちらも帽子かけですが、国鉄タイプのものよりだいぶ小振りです。
中小私鉄の車両のものかもしれませんが、どこで使われていたかはわかりません。
昭和62年に鉄道部品屋で購入しました。ただ単に『帽子かけ』と称して売られていました。
二個購入し我が家では階段の壁に取り付けられ、現役で活躍中です。
フック部分が短いため、厚いコートをかけるとずるりと落ちてしまうのが欠点です。



  
0009▲急行や特急車両のデッキ側の引き戸付近に取り付けられていた、指定席表示ボードです。
ボードを収める金属製のポケットとセットになっているところが気に入って、昭和63年に鉄道部品屋で購入しました。
自由席はボードの色がブルーになっていました。
ボードの端に「手」の文字があります。これは「手稲」の意味でしょうか。なんだか謎解きのようです。





0010▲昭和62年ごろデパートの国鉄部品放出会で購入しました。
東海道線静岡地区113系用のサボです。
ほうろう製なら最高ですが、プラスチック製です。
プラスチックでもローマ字が入っていると風格があるのですが、漢字表示だけの素っ気ないものです。



  
0011▲昭和62年名古屋の友人から譲り受けた急行(さんべ)用の号車札です。
隅に「米」の文字が見えます。




このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください