このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ヘッドマーク・サボいろいろ
 ・管理人は鉄道に興味を持つ前、バスの方向幕に強い関心がありました。
 ・興味が鉄道に変わってからも、サボやヘッドマークは気になる存在で、
  その都度写真を撮っておりました。
▲20系の方向幕です。
同時期に作られた(こだま)形181系が単なる差し込み式のサボなのに対し、
20系のそれは、三つの窓のそれぞれ内側からライトで照らす凝ったものでした。
号車表示は内側から板をはめ込めこむもの
愛称表示と行き先表示は巻き取り式のように見えますが、私の記憶ではこちらもはめ込み式だったような気もしたのですが。
昭和48年9月に撮影した、(はやぶさ)に長崎編成があった頃の表示です。




▲先代の国鉄乗り入れ急行(あさぎり)の行き先札です。現在の特急(あさぎり)は沼津乗り入れですが、急行時代は御殿場止まりでした。
行き先札が少し中央寄りについていたのが変わり種です。急行列車なのに転換クロスシートを備えていて、一度は乗ってみたかった車両でした。
昭和51年の正月、山北〜御殿場間で初乗りを果たしています。



▲佐久間レールパークの資料室に保管してあった、身延線モハ80系急行(富士川)に使用した
ヘッドマークです。愛称板の左右の模様は鳥の羽を形取ったもので、当時の153系急行列車にも
デザインされていました。真ん中に金具がついていて、愛称名をかえることができます。
平成2年8月に撮影しました。
(富士川)のヘッドマークをつけた80系写真はお世話になっています
「思い出鉄道探検団」のヘッドマーク探検団 のページでごらんいただけます。



▲左の写真と同じく佐久間レールパークにおいてあったヘッドマークです。
急行(冨士高原)という列車をご存じですか。確か昭和40年代中期に運転された(富士川)と同じ80系全金車による静岡〜御殿場間臨時電車だと思うのですがはっきりしません。
同じ頃準急(日本平)などという列車もありました。
その後、「思い出鉄道探検団」のみなさまの調べで急行(富士高原)は昭和43年夏と44年夏に静岡〜御殿場間を走った夏期臨時電車であることがわかりました。



▲常磐線平駅ホームに何気なく立てかけてあったのを、同行のいとこに持たせて撮影した写真です。
撮影した昭和51年当時常磐線には数多くの客車列車が残っていました。
撮影にぐずぐずしていたのでいとこから「重たいからはやく撮ってよ。」とクレームが付きました。確かにほうろう製のずしりと重いものでした。




▲高知駅ホームの片隅にずらりとおかれた赤サボです。
列車別にきちんとそろえておかれています。穴があいているのが客車用のサボです。
撮影した昭和53年頃にはまだ客車普通列車が四国地区に残っていて、DF50がオハ35やオハ61などをひいていました。
高松〜高知間の客レもあっておよそ5時間を要しました。私など格安の普通乗車券だけで5時間も列車の旅が楽しめるとニンマリしたものでした。
サボは全部ずしりと重いほうろう製です。その後数年でこれらのサボはお役ご免となるのですが、そのあとどなたかの手に入ったのでしょうか。私も一枚ほしかった…。




▲昭和57年8月北海道ワイド周遊券を使って道東を旅行したときの、急行(しれとこ)のサボです。
(しれとこ)はキハ47一般型気動車の運用でありながら、急行料金徴収の今で言うぼったくり列車でした。
まあワイド旅行者には関係ありませんがね。



▲上記の北海道旅行の帰路に乗車した急行(津軽)のサボです。このころサボの盗難が目立ったのでしょう。
サボが針金で固定されていました。ハネもロネも引退直前で車体はもうベコベコです。
昭和57年8月上野駅での撮影です。。





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