このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

白幕のスターたち 181・481・485系

昭和53年、特急列車のヘッドサインがイラスト化される以前の写真です。
白幕に愛称名だけを表示した素っ気なさの中に、単純明快な魅力を感じます。



▲昭和49年8月博多駅での上り岡山行き(つばめ)です。
まだ新幹線はなく、在来線が長距離客をさばいていました。
夏休みの多客期のためホームは混雑していました。



▲181系の(とき)です。
ヘッドマークの「とき」とひらがなで書かれたその下に漢字で「朱鷺」と入れられていました。
新幹線が開通する前で東北上信越方面の在来線はいつも長距離客でごったがえしていました。
昭和50年9月、大宮駅での撮影です。





▲485系の(ひばり)です。
115系の普通電車を待避させて、通過していきます。
東北本線特急全盛期の昭和51年9月の撮影です。



▲183系の(あまぎ)です。
昭和51年に157系からバトンタッチした(あまぎ)の183系時代は、
その後(踊り子)と改称され短命に終わりました。
伊豆多賀駅をソロリソロリと通過していく上りの東京行きです。
ちょうど花見のころで、山裾の桜の花は満開でした。
昭和52年4月の撮影です。




▲(しらさぎ)のクハ481 300番台です。
昭和53年の春休みの最中で特急列車は混んでいました。
(しらさぎ)はずっと国鉄車両で走り続けていましたが、平成16年に新型に置き換わりました。




▲(はつかり)というと583系のイメージですが、増発により485系での運用も設定されました。
当時、青いはつかり、赤いはつかりと呼んで区別していました。
ヘッドマークがイラスト化される直前の、昭和53年9月上野駅での撮影です。




▲昭和49年5月、まだ新幹線は博多まで到達しておらず、
大阪から九州各都市に長距離昼行特急が出発していました。
写真は大阪〜宮崎を結んでいた特急(日向)です。

(日向)というとディーゼル特急の印象が強い管理人ですが、
昭和49年の宮崎電化から昭和50年の廃止まで、
短い間ですが電車化されてさっそうと加古川付近を通過して行きました。
ゴンパパ氏撮影



▲昭和50年新幹線博多開業直前の(みどり)です。
当時(みどり)は大阪仕立ての列車と、岡山仕立ての列車の2系統がありました。
(日向)と同じく赤ひげがチャーミングです。

加古川にてゴンパパ氏撮影



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