このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

亡父の旅行記録

管理人の亡父は終戦直後、中学を出てすぐに家具屋の丁稚奉公として働き始めました。
その後家具屋の外交員となって、日本全国に出張しました。亡父の勤めた家具屋は、家具の製造卸が主な業務でした。
亡父の仕事は取引のある各地の家具小売店をまわり、商品の売りつけや、卸した家具の代金の集金をしていました。
母の話では昭和30年代初頭、ひと月の内の半分は旅先で過ごしていたそうです。
亡父の出張は、取引先の関係から、大阪、名古屋、東北地方が圧倒的に多く、自然と旅行通になっていったようです。
旅行通といっても、てっちゃんだったわけではなく、鉄道を撮った写真はほとんど皆無に近い状態です。
唯一下の二枚が集金旅行の旅先から亡父が昭和30年代初頭に撮った写真です。
▲粉雪をまき散らして列車が「天童」駅に到着したところです。
たまたま気が向いて駅名標をカメラに収めたのでしょう。
枕木製の柵や民家の黒瓦にも雪が積もっています。

▲長旅の末、今日の目的地に着きました。写真のうらには「新庄駅前」とあります。だだっぴろい駅前には旧型バスが停まってまっていて汽車からの客を待っています。
大きな流線型の外車が一台片隅に見えます。
正面には、一昔前の東北地方の駅前で多く見かけた清酒の広告塔が建っています。
駅前旅館は「住吉屋」と読めます。今もこの旅館はあるのでしょうか。

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