このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

脇役機関車 EF10・DD50・ED16 ほか

派手な花形機関車ではなく、ちょっと脇役でいながら、
魅力たっぷりの機関車のアルバムをお目にかけます。
▲昭和49年8月飯田線は長篠城駅でのEF10 16の姿です。
EF10とその後ろはED61の重連でしょうか。思ってもみなかった 旧型電機の登場にあわててシャッターを切りました。
長篠城駅は交換設備が撤去されて、使われなくなった対向ホームが写っています。
架線柱には今は撤退してしまった「豊橋西武」の広告板が見えます。
この沿線で「お街に行く」と言えばそれは豊橋へのお買い物を意味することでした。



▲こちらは身延線の貨物運用につくEF10 11です。
当時の身延線は旧型国電に旧型電機の貨物列車、
急行(富士川)が165系、それに大石寺団体臨時の80系や113系が乗り入れ、
非常ににバラエティーに富んでいました。
昭和49年6月の富士駅でのパンタを下して一休みの撮影です。




▲静岡地区の入れ替えに活躍したDD13です。
東海道線は既に電化が完成していましたが、
当時安倍川の砂利工場への引き込み線があり、
架線の張られていないところにも自由に行き来できるようにディーゼル機関車が配置されていたと思われます。

昭和54年に静岡駅の高架工事が完成し、
引き込み線が廃止されていつの間にか姿を消してしまいました。
昭和47年10月静岡駅での撮影です。




▲黒磯駅でED71が入れ替えに活躍中でした。
東北本線も黒磯まで来ると旅の充実感が高まりうきうきしました。
ホームでは「高原肉めし」と「九尾ずし」の弁当売りが立ち、
スタンドでは熱々のなめこ汁を売っていました。
なめこ汁は今でも味わえるのでしょうか。
東北本線の全盛時代である昭和50年8月の撮影です。



▲鉄道雑誌での知識で知っていたDD50に偶然米原で出会ってうれしさのあまりシャッターを切りました。
手前側はDD50のファーストナンバーですが、相方はナンバーがわかりません。
貨車も従わずぽつんとたたずんでいるところに寂しさを感じます。
塗装は国鉄DL標準の赤とだいだいのツートンカラーでした。
昭和52年5月の撮影です。




▲DE10は今なお全国区で活躍中ですが、そのDE10と瓜二つの機関車がDE11です。
DE10より製造輌数が少ないため、DE10の陰に隠れた脇役機関車の一つといえましょう。

その、DE11を老いて
27000氏がしっかり撮影されていました。
『DE11の3号機と8号機。
当時は、多分最新鋭だったのではないのでしょうか?
新鶴見には若番が居りました。』
昭和47年撮影



▲戦前は上越線や中央線で活躍したというED16ですが、
晩年は青梅線での貨物運用をこなす脇役的な機関車でした。

ED162号機の迫力あるショット。
管理人はこのD級電機が大好きで、HO模型も所有しています。
昭和50年、立川機関区(西国立駅)での
老いて27000氏の撮影です。




▲こちらはED16の10号機。
昭和50年、立川駅での姿です。
後方には貨車を従えています。
青梅線での貨物運用の姿でしょうか。
D級電機ながら、大きなパンタをふりかざした姿は魅力たっぷりです。

南武線ホーム先端からの撮影で、手前のレールが南武線です(終点なので錆びている)。
カラーでED16を撮影したのは、この写真だけかもしれません。
高価なカラーフィルムを、茶色の車輌に用いる余裕なんか無かったように思います。』とは、
撮影者である
老いて27000氏のコメントです。




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