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キハ181系気動車
▲それでは、まずは、「あおば」から行きましょう。 この写真は以前、公営さんの掲示板に載せた写真ですが、 面白かったのはなぜか、「あおば」の先頭車両で、「つばさ」ではなかに組み込まれるキハ181の特急マークが外されていたことです。 32号は、「いそかぜ」が廃止されるまで活躍しましたが、後年撮った写真ではちゃんと特急マークが付いているのですね。 クハ415-1901さま 2006年4月28日ご投稿 |
▲名古屋といえば、「しなの」のキハ181系発祥の地?でもありますね。 「くろしお」のキハ81、「ひだ」のキハ82, そして「しなの」のキハ181と3車が一堂に介していた時期があったのですね。 クハ415-1901さま 2006年4月28日ご投稿 |
▲引き続き、181系「つばさ」の写真ですが、奥羽南線電化による、置き換え着前の光景です。 因みに、「つばさ」の東京乗り入れは、朝7:30発の1号1Dと20:12着の2号4Dだったようです。 父の実家が秋田県の能代であったため、 「つばさ」も乗車経験がありますが、「つばさ」の特急指定券はなかなかとれず、 いつも良くて「男鹿」だったように記憶しています。 「つばさ51号」などといった列車もありましたが、あれは14系ハザで、時間も1時間多くかかりました。 鶯谷 クハ451-1901さま 2006年4月30日ご投稿 |
▲DC特急良いですね! 私が鉄を始めた頃は「日向、みどり、なは、しなの」がDCでしたが駄目画像ばかり。残念〜!! 大好きなDC特急求めて九州の「にちりん」まで追いかけました。 今日は1975,1,3 岡山にて撮影の181系「やくも」を貼らせていただきます。 ゴンパパさま 2006年4月30日ご投稿 |
▲両親の実家が本州の端っこ同士であったため、小学校の夏休みは、奇数学年は萩、偶数学年は能代に帰省しました。 今から思えば、旅費もかかって大変だったと思います。 今でも憶えているのは、小学校3年(1964)の夏に、新幹線開業直前の東海道を東京12:30発の「雲仙・西海」(だったと思いますが)で下り、 名古屋で夕方、大阪に夜8時頃、徳山あたりで夜が明けて、厚狭に朝着いたのですが、 編成が長くて、ホームに入りきらず、 客車から地面に飛び降りるのが怖かったのを憶えています。 そこから、美祢線で長門市(当時、正明市から駅名が替ったばかり)、 さらに山陰線の列車で東萩駅に着いたときは丸一日がかりでした。 帰りは、浜田まで行き、そこから東京行き急行「出雲」だったかと思います。 山陰線を夕方までとろとろと走って、京都に夜遅く着くパターンでした。 夏休みの旅行、往路の記憶はしっかりしているのですが、復路はいつも「夏休みもあと残すところ僅か」で、記憶がしっかりないのが共通パターンでした。 この写真は、大学3年の春休みにひとりで山陰・九州を旅したときで、 東京から出雲市まで「出雲」、玉造温泉に宿泊し、「おき」で小郡へ、さらに北九州、福岡に向いました。 玉造温泉駅だったと思いますが、以前秋田で「あおば」で逢った32号に「やくも」で再会しました。 1977/3/17 クハ415-1901さま 2006年4月30日ご投稿 |
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