このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

キハ181系気動車

それでは、まずは、「あおば」から行きましょう。
この写真は以前、公営さんの掲示板に載せた写真ですが、
面白かったのはなぜか、「あおば」の先頭車両で、「つばさ」ではなかに組み込まれるキハ181の特急マークが外されていたことです。
32号は、「いそかぜ」が廃止されるまで活躍しましたが、後年撮った写真ではちゃんと特急マークが付いているのですね。

クハ415-1901さま 2006年4月28日ご投稿






名古屋といえば、「しなの」のキハ181系発祥の地?でもありますね。
「くろしお」のキハ81、「ひだ」のキハ82,
そして「しなの」のキハ181と3車が一堂に介していた時期があったのですね。

クハ415-1901さま 2006年4月28日ご投稿






引き続き、181系「つばさ」の写真ですが、奥羽南線電化による、置き換え着前の光景です。
因みに、「つばさ」の東京乗り入れは、朝7:30発の1号1Dと20:12着の2号4Dだったようです。
父の実家が秋田県の能代であったため、
「つばさ」も乗車経験がありますが、「つばさ」の特急指定券はなかなかとれず、
いつも良くて「男鹿」だったように記憶しています。
「つばさ51号」などといった列車もありましたが、あれは14系ハザで、時間も1時間多くかかりました。
鶯谷

クハ451-1901さま 2006年4月30日ご投稿






DC特急良いですね! 
私が鉄を始めた頃は「日向、みどり、なは、しなの」がDCでしたが駄目画像ばかり。残念〜!! 
大好きなDC特急求めて九州の「にちりん」まで追いかけました。
今日は1975,1,3 岡山にて撮影の181系「やくも」を貼らせていただきます。

ゴンパパさま 2006年4月30日ご投稿






両親の実家が本州の端っこ同士であったため、小学校の夏休みは、奇数学年は萩、偶数学年は能代に帰省しました。
今から思えば、旅費もかかって大変だったと思います。

今でも憶えているのは、小学校3年(1964)の夏に、新幹線開業直前の東海道を東京12:30発の「雲仙・西海」(だったと思いますが)で下り、
名古屋で夕方、大阪に夜8時頃、徳山あたりで夜が明けて、厚狭に朝着いたのですが、
編成が長くて、ホームに入りきらず、
客車から地面に飛び降りるのが怖かったのを憶えています。
そこから、美祢線で長門市(当時、正明市から駅名が替ったばかり)、
さらに山陰線の列車で東萩駅に着いたときは丸一日がかりでした。
帰りは、浜田まで行き、そこから東京行き急行「出雲」だったかと思います。
山陰線を夕方までとろとろと走って、京都に夜遅く着くパターンでした。
夏休みの旅行、往路の記憶はしっかりしているのですが、復路はいつも「夏休みもあと残すところ僅か」で、記憶がしっかりないのが共通パターンでした。

この写真は、大学3年の春休みにひとりで山陰・九州を旅したときで、
東京から出雲市まで「出雲」、玉造温泉に宿泊し、「おき」で小郡へ、さらに北九州、福岡に向いました。
玉造温泉駅だったと思いますが、以前秋田で「あおば」で逢った32号に「やくも」で再会しました。
1977/3/17

クハ415-1901さま 2006年4月30日ご投稿






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