このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

旅とスケッチ


ローカル鉄道スケッチの旅


西濃鉄道
西濃鉄道は貨物専用の路線でJR美濃赤坂から二つの路線(市橋線、昼飯線)が出ていましたが、今では昼飯線が廃止となり、市橋線も乙女坂駅までとなりました。貨物列車は1日3往復、金生山で採掘された石灰石を運んでいる。乙女坂駅までは1.3km。駅と言ってもホームがあるわけでなく、矢橋工業の工場敷地内にあり石灰石を貨物列車に搭載するためのホッパーがある辺りを言う。
今回の旅は中山道赤坂宿とその周辺の名所・史跡を訪ねることと、西濃鉄道の乙女坂駅周辺にある石灰工場のスケッチをすることを目的として訪れました。
12月JR美濃赤坂駅を出発地点として散策を開始する。観光案内所は近くにないので、駅舎の事務所で情報収集する。駅舎を管理しているのはJRでなく西濃鉄道でした。
手始めに美濃赤坂駅から紹介しますと、当駅は東海道本線支線(美濃赤坂線)の終点駅で、今は無人駅です。大垣駅から5.0km大垣市赤坂町にあり、近くの金生山から採掘された石灰石の輸送する中継地点であり、西濃鉄道の市橋線(貨物線)に接続される。構内の西端に大垣行きのホームがある。東端は貨物列車専用の線で、ここに西濃鉄道の市橋線が接続している。構内南側には西濃鉄道の機関車の車庫がある。
1930年から1945年まで旅客営業。15年と短い期間でしたが人を運んでいたわけで、その時の赤坂本町駅があった場所が中山道の踏切に一部残っている。
美濃赤坂駅を北に向かうと中山道に出る。この四つ辻に赤坂宿の石碑や谷汲街道の道標がある。ここが谷汲街道の起点で北に向かっている。
赤坂宿は中山道の宿場町として栄え、東西に連なる町筋は現在も古い建物や史跡が多く残っている。四つ筋周辺には、矢橋家や脇本陣・本陣跡など歴史的な建物や史跡がある。
中山道を南に入ると赤坂中学校に隣接してお茶屋屋敷跡がある。将軍が京に向かう宿泊地として使われた。今はボタン園になっている。
中山道と杭瀬川が交差したところに昔港があった。多くの船が往来していた。(赤坂港跡)
金生山の登り口に子安神社がある。ここは子授け安産の神社である。
さらに金生山を登っていくと、中腹に金祥山神社がある。この神社は、元々は明星輪寺にあった蔵王権現宮である。例年4月第2日曜日赤坂宿で行われる「赤坂まつり」は金祥山神宮の例祭である。
金生山神社の横には、金生山から出土した化石が展示されている金生山化石館がある。
金生山の頂上には、金生山明星輪寺がある。「こくぞうさん」と言われ、日本三大虚空蔵の一つだそうだ。本尊は虚空蔵菩薩。(1月9日撮影)
1月2日雪が降る。岐阜市内で20㎝近く積もったので、美濃赤坂ではそれ以上積もっているだろう。今日訪れるのは無理なので、明日美濃赤坂の雪景色を撮りに行くことにした。
1月3日車で行く。美濃赤坂駅に着くと構内は一面雪が残っていた。これから西濃鉄道に沿って乙女坂駅に向かい、石灰工場の写真とスケッチをすることにした。途中、天清院に寄る。
天清院は「子育てどんりゅうさん」と呼ばれ、呑龍大士を祭っている。育児や健康、安産にご利益があると言われ、県外からも訪れる。
乙女坂に着くも、今日は正月で石灰工場はどこもお休み、工場に出入りするトラックもなく静かな工場地帯です。昨日降った雪はしっかり残っていて、線路がやっと見える状態でした。絵になる工場のスケッチと思いましたが寒くて、写真を撮って帰りました。
貨物列車に石灰石を積込む様子に興味がわき、1日3往復の貨物列車が乙女坂駅に着く時間を調べて待つことにする。1月9日(土)美濃赤坂を15時19分に出発し10分後に乙女坂駅に到着する貨物列車を待つことにする。それまでは周辺を取材することにしました。
鉱山施設の廃墟でしょうか、今は採掘もなく荒れ果てている。
市橋で、昔活躍していた石灰石を貨車に積込むホッパーがあった建物だろうか、下には錆びた線路が草の中に見え隠れしている。
ほぼ時間通り24両の貨車を引っ張ってゆっくりとジーゼル機関車がやってきました。乙女坂駅を過ぎたところで機関車は向きを変える。
いよいよ石灰石の積込み開始です。1回に2両ずつホッパーから石灰石が流し込まれいっぱいになると、サイレンが鳴り2両分前進する。これを繰り返し24両終わると美濃赤坂まで行きJRの電気機関車に頭を変えて運搬される。
スケッチの作品


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