このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

             
 まだ急行比叡が元気だったころ 
 
 鉄道開通のころから、名古屋・大阪間は路線間の競争の激しいところでした。 
 東海道線を電車特急が頻繁に往来する隙間を準急比叡・伊吹ががんばっていました。 
 新幹線が開通したのちも、急行比叡は一部が残り、主に都市間輸送を目的に
 がんばっていました。もちろん1等車も、さらにはビュッフェもあった時代です。 
 
 1969年5月号時刻表から 
 
   401M403M405M407M 
 名古屋730113016102030 
 尾張一宮743114316232043 
 岐阜753115416332054 
 大垣803120516442105 
 米原834123417152136 
 米原835123717162137 
 彦根841124317222142 
 近江八幡857130117402158 
 草津910131317532214 
 石山916132018002220 
 大津922132518062225 
 京都931133418172234 
 京都932133518182235 
 大阪1006140918572312 
 
   402M404M406M408M 
 大阪745132015471840 
 京都820135316201916 
 京都821135516211917 
 大津829140316311926 
 石山834140916371932 
 草津842141616441939 
 近江八幡855143216581956 
 彦根912144917162015 
 米原918145517222021 
 米原919145717242022 
 大垣949152417562052 
 岐阜1000153518062104 
 尾張一宮1010154518182114 
 名古屋1023155918332128 
   
 
 岐阜から京都・大阪や草津から名古屋、あるいは近江八幡から大阪など 
 新幹線の利用できない区間で、まずまず使い勝手はよさそうですね。 
 この頃は普通電車は今よりずっと少なく、ましてや新快速などありませんから 
 列車の選択範囲はずいぶんと狭かったものです。 
 
 
  
  ムカシ時刻表ジコクヒョウモド  
   
  鉄道テツドウ自由ジユウ研究ケンキュウモド  

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