このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

仏生山(むしやま)トンネル

米原と彦根の間に昔トンネルがありました。
トンネルの存在はかつてわだらんが何度もその場を電車で通り目撃していたのですが、
なかなか詳細の紹介をしたものに出会えず、トンネルの名前もわからず、
ずっと気になっておりました。

 いまでは東海道線から琵琶湖の湖面を見ることは膳所付近や瀬田川以外不可能ですが、
昭和30年代になるまで、琵琶湖の内湖(つまり琵琶湖そのものではないが、琵琶湖に
接する小さな湖)が至る所にあり、線路端まで来ていたところもありました。
それが、能登川−安土間とこの米原−彦根間です。
この米原−彦根間も
入江内湖と松原内湖に沿って線路はひかれた形でしたが、
地盤が悪かったのか、途中内湖沿いから内陸に入り、山をトンネルで抜けた形です。

http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo100/75/ckk-75-9/c15/ckk-75-9_c15_4.jpg からの加工です。

まずは、全体の位置。曲線で囲った部分、下り電車が大きく左カーブを切るところです。

 

で、その拡大写真。黄色の点を打ったところがトンネル部分、その下に築堤がのびているのが
おわかりになるでしょうか。

 

 いろいろと文献を探していたところ、大阪工事局40年史に
「米原−彦根間曲線改良 S30.3〜s31.10」とあり、
“東海道線電化に伴う米原彦根間仏生山隧道改築は地質不良のため
別線(複線)を新設する“との記載を見つけました。

わだらんは当初、この線路の変更はこだまの6時間30分運転のため
(中公新書の「列車ダイヤの話」にそう記載があった)と信じておりましたが
どうやらこれを見ると、トンネルには架線はひかれなかったようです。
  

一時期まで築堤も残っていましたが、今は下水道浄化センターの建設もあり
わからなくなってしまいました。 

ちなみに、ピンクで×を打ったあたりに、名古屋鉄道管理局と大阪鉄道管理局の
境を示すポストが建っていました。

黒岩保美さんの写真集、「くろがねの記憶」にこの付近で撮られた写真があり、
電化前にトンネルを抜けて列車が走っていた姿を見ることができます。

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