このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

《肉用牛・枝肉の部》
(2003.11.30)
種畜(枝肉に対して生畜ともいう)の部が終了して20日後。今度は肥育農家の宮崎県一を決定する“枝肉の”が(株)ミヤチク高崎工場で開催される。10月21日に搬入と審査(屠殺前体重。780kg以上は出品されず賞の対象とならない“参考出品”となる。)、22日も審査、23日は審査と展示、セリ、表彰式に講評etcという3日間の日程なのだった。

出品は肉用牛が110頭豚が10頭1セットで40セット(400頭)である。このうち実際に見てきた“肉用牛”についてレポートしようと思う。
晴天。はっきりいって今年の宮崎は暑いのである。

がちがちのコントラストの中、会場のミヤチクは関係者でごった返す。農協、行政、肥育農家とその応援団(とりまきともいう)・・・。

本当に“お祭り”というにふさわしく、皆ニコニコと晴れやかだ。
上の写真は県家畜改良事業団が供用する種雄牛の紹介パネル。昨年岐阜で開催された全共でも入賞した安平の子“茂福”の文字が読める。他には今後活躍が期待される“上茂福”、“福晴美”などの案内が出ていた。その奥には(株)ミヤチクの肉・加工品販売スペースがある。
さて、枝肉が展示されている冷凍庫へ行ってみよう。

入り口のところで白衣、キャップと長靴を貸してくれるのでキチンと装着しよう。衛生対策である。

消毒槽を踏み込んで、分厚い扉を開けるとひんやりとした空気が体に伝わってくる。そこがずらりと牛枝肉がぶら下がっている部屋である。2部屋に分かれて110頭分の枝肉が吊されている光景は壮観である。人によっては卒倒するかもしれない。
枝肉を見てみよう!!
第6〜7間の肋骨の部分に切り込みが入れられ、どのような枝肉か確認することができるようになっている。

枝肉を見ようと通路には人があふれていた。ゆっくりと観察することはできなかったが、この枝肉を見ることで牛の養い方がわかってしまうという。たとえば、ロース芯面積が小さければ、肥育前期からの筋肉の成長期に飼料の食い込みが足りないなどだ。

これについては追々説明する場を設けたいと考えている。
格付けの終わった名簿をもらったのだが、宮崎県を代表する種雄牛“安平”号の遺伝能力の強さを再確認することができる。平成元年生まれ。人間の年齢にすれば70歳ほど。未だ現役で週2回の精液採取をこなしているらしい。

肉質等級で最高の5等級をつけた牛が110頭中31頭。このうち23頭に何らかの形で絡んでいるのである。加齢とともに精液の活力が落ちてばらつきが大きくなったと言われがちだが、本当にすごいものだ。
格付け表を確認しながらさて、冷凍庫の中をズンズン進んでいこう。

人をかき分けかき分けたどり着いたのは枝肉NO.108番の枝肉である。
生産者は西都市の金丸良隆氏。枝肉重量488.0kg、ロース心面積72c㎡、バラ厚9.7cm、皮下脂肪厚3.8cm、推定歩留75.7、BMSが11番と堂々のグランドチャンピオンである。ちなみに血統は安平−隆桜−糸秀という宮崎県における黄金パターン。

聞けば、金丸氏は和牛雌牛専門の肥育農家で、
雌牛のグランドチャンピオン受賞は過去県共を通じても初の快挙とか。
さて、表彰式である。

肉牛枝肉でグランドチャンプに輝いた金丸良隆氏は加えて
林水産大臣賞も受賞した。これに続いたのが小林市の深水牧場(去勢牛、安平−隆桜−神高福、枝重494.3kg、BMS11)、そして昨年の全共でもきっちり結果を残した宮崎市の小倉光彦氏(雌、安平−隆桜−菊安、枝重431.2kg、BMS11)。地区毎の肥育技術の優劣を決める団体賞は出荷全頭がA4等級以上の上物であった南那珂畜連が受賞している。

ちなみに同時に開催された肉豚枝肉では、高鍋町の野津手畜産がグランドチャンプを受賞し、上位を独占した児湯畜連が団体賞を受賞した。
表彰式の風景
中央がGCの金丸氏、左側が家業を手伝う氏の長男、右が来賓の上杉代議士だ。
全体的に見た場合、肉質等級においては昨年をわずかに下回ったものの肉色など改善が見られた。この後のセリでは、共進会ということもあり通常より高い“ご祝儀価格”で取り引きされる。


セリのトリをつとめたのはGCの金丸良隆氏の枝肉。セリに先立ち生産者の金丸氏より簡単な挨拶がある。

今日こうやってみなさんの前に立つことができましたのは、家族や経済連、農協などの技術員の方々・・、たくさんの人に助けられたおかげです。

電光掲示板が示す価格はどんどん上がっていき、kg単価7,080円という当然ながら本日最高値でセリ落とされたのであった。

セリ値が確定した後、金丸良隆氏が購買者に向かって深々と礼をする。この瞬間今年の宮崎県畜産の祭典“畜産共進会”は全日程を終えたのだった。

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