このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

「佐多岬」に行って来ました。
昨年の12月上旬。南日本新聞に自動車専用有料道路「佐多岬ロードパーク」の閉鎖という記事が載った。道路を所有する“いわさきコーポレーション”によると、利用者の大幅な減少により維持が困難になったということであった。

佐多岬といえば昭和40年代に起こった新婚旅行ブームにおいて日南海岸と並ぶ九州観光のメッカともいえる観光地である。今日でも“
本土最南端の地”として大隅観光の核をなしている。いつかは行ってみたいと夢見る人も多いことだろう。

そんな岬へと続く約8kmの道路が使用できなくなるというのだ。
佐多岬観光のピークは1973年。年間20万人の観光客が訪れた。道路を利用した車の台数約6万3800台はじわじわ減り、2002年には約2万6600台まで落ち込んでいる。社会が豊かになっていく中で人々の関心が九州から離れたこと、立地の悪さなど種々の要因はあるだろう。わずか8kmの道路を走るために1000円という割高な通行料を払わなければならないというのも自然と足が遠のく。

私にしてもwifeの実家が鹿児島県志布志町と接する串間市ということもあり、行こうと思えば行けたのである。でもでもなかなか足が向かなかった。で、正月も明け切らない2004年の1月2日、ワゴンRのハンドルを握り南へと進路をとったのである。
鹿屋を抜けて大根占、根占を抜けて・・・。やっと佐多町へたどり着いた。ここからぐねぐねと整備された道路を走り、大泊地区にある“佐多岬ロードパーク”のゲートへとたどり着く。

ゲートを撮るために車を停めたが風が強い。画像右上のワシントニアパームの葉が大きくなびいているので、その強さがおわかりいただけると思う。ゲートを行き来する車はいるが辺りに人影はない。くすんだ濃緑と灰色、そして枯れた草の色・・・。私がイメージしている“最果ての地”そのままの風景が広がっていたのである。

ゲートで1000円を払い“通行券”を受け取ったが、この券の真ん中にはミシン目が入っている。道路の中程にある中継ゲートで半分にちぎられるとのこと。

中央線がかすれた道路を走りながら、東南アジアあたりの道路を走っている感覚に陥る。道ばたに植えられたヤシ類ソテツガジュマルブーゲンビリア・・・。遠く広がる寂寥としたパノラマと微妙なマッチングを見せるためだ。この南国らしい景観も佐多岬観光のウリの一つである。
艶やかな赤色を見せるブーゲンビリア。他にもストレリチア・レギーネ(極楽鳥花)のオレンジが彩りを添える。
“岩崎隧道”と彫られた短いトンネルを抜けて坂を下る。中継ゲートにかかる辺りでちょっとした集落を通る。実はこの“佐多岬ロードパーク”。一部区間が地元の人にとって重要な生活道路なのである。運用休止後はいったいどうなってしまうのであろうか。

海からの風で低い木々が茂る中を左へ大きくカーブして坂を上っていく。灯台が見えるバスの待機場を左に見て少し行くと道路の終点だ。駐車場の中に大きなガジュマルの木が立つ。その姿はまさに偉容。ここで面白いモノを見つけた。
南薩、大隅という広範囲でバスを走らせる“鹿児島交通”のバス停である。鹿児島交通はいわさきコーポレーションのグループ企業であるので、バス路線が“いわさき”の私設観光道路を通って佐多岬に通じているのには納得がいく。

それにしても円形表示板に“本土最南端”なんて入れるところが心憎い。旅情をかき立てられるアイテムでした。

ただバスを利用する人は見受けられなかったですけど。
駐車場から岬の展望台まで徒歩となる。まず最初にトンネルを抜けることになるのだが、ここでも入場料というか通行料を取られる。お一人様100円也。券売所はおみやげ屋と兼用になっていて、キーホルダーやら写真はがきなんかが売られていた。足を止める人はほとんどいない。200m位の長さのトンネルの中は薄暗く、歩く人の会話が反響して響くだけ。

さて、トンネルを抜けた。この後はソテツがパラパラと生えている照葉樹の林間をひたすら歩くだけである。
山道をしばらく歩いて、少し開けたところに出たら“御崎神社”である。和銅元年(708年)開基の由緒正しい神社。

案内看板によれば祭神は伊邪那伎命・伊邪那美命2柱と6御子。

安産・結縁、そして海神として地元の人の崇敬を集めているそうだ。
当然ながらお参りを済ませる。正月ということ、岬まで立ち入ることができる日が残りわずかということもあり多くの観光客が行き来していた。

コンクリートの階段を上がり、ビロウ樹の林の中を進んだら尾根づたいの道に出る。眺めがよい。強風に吹かれ灰色の海を見ながら「晴れていれば・・・。」と思ったが、こんな日もある。雨が降らないだけましだ。

廃墟と化したかつてのレストハウスの脇を抜け、森の中の階段を上がろう。視界は一気に明るくなり南海を見渡すことができる。目の前にある白い灯台が佐多岬灯台。イギリス人の設計による日本最古の灯台の一つである(明治4年完成。ただし昭和20年焼失し、現在の物は昭和25年に再築された物。)晴れた日であれば、遠く開聞岳や屋久・種子島を望むことができるそうだ。
展望台に入ると誘惑なにおいが・・・。“イカ焼き300円也”である。ショーケースの中には“到達証明証”なる物が売ってある。105円。買おうかどうしようか迷ったが、「また変な物・・・。」と冷ややかな視線を浴びるのは明白。でも買っておけばよかった・・・。

顔なじみの人であろう。イカを焼きながらおばさんが話している。

「新聞に載ってから忙しぃ〜。昨日もお客さんでいっぱいやったわ。」

1月1日。つまりは初日の出である。東の海にとーんと突き出た場所である。例年多くの人が集まるようだ。

海を見ながら展望台の中をぐるっと回り、階段を上がる。
くるくるくる・・・。螺旋階段を上がると方形の部屋。四方ガラス張りだ。眺めはさいこーである(ただし晴れたらであるけど・・・)。それにしても大きい。九州の懐の広さを感じさせるパノラマの1つだ。

灰色の空と海を見ながら、なーんかこっちまで暗くなってしまう。天候のせい?それとも誰もいない展望台のせいなのか・・・。“何でもう少し早く来なかったのであろうか。”、”何で今ここに立っている?”・・・。“自分にできることって何?”なんてことも考える。

なんだか色々と頭の中を巡ったのだが、疲れるだけなので考えるのをやめた。同じことが常に頭の中にあるけれども、なかなかすっきりできないでいる。物事を真剣に捉えない性格が作用しているところもあると思う。
展望台のちょうど南の方角を正面に見るところに方角盤が設置してあった。

鈍く光り、金属の冷たさを感じさせるそれを見ていたらふと、「これからどう歩くべきか・・・。」なんていつものフレーズが頭の中で踊り出す。

悩んでいても仕方がないので、「べつに思うままで良いから。」と一応の区切りをつけた。階段を降り、車を停めた場所まで歩き始めたのであった。

尾根づたいの道を、強い風に吹かれながら歩いた。
上にも書いたが、佐多岬ロードパークの一部の区間は地元の人々の生活道路として機能してきた。“いわさきグループ”によれば、「営業休止は予定通り行うが道路の活用は未定で「有償譲渡」もあり得る」としており、必ずしも地元の人の足がなくなるということではないらしい。おそらく、将来的には地元佐多町などが“買い上げ”て従来通りの観光資源として活用していくのではないだろうかと思われる。

“いわさき”の観光地としての佐多岬を訪れることが可能なのはあとわずか。来る2月一杯である。たとえ1000円の通行料を払うとしても、南九州に来て時間がある方は是非とも足を運んでいただきたい。雄大な景色にのまれたり、再訪して昔話に花を咲かせるというのも一興だ。
>Index
(2004.01.17)
【追補(04.03.06)】

3月1日からの営業休止がリリースされていた当道路であるが、2月末に営業が延長されるという記事が掲載された。地元佐多町との協議のため、親会社である“いわさき”からの休止許可が提出されていないためで、5月のゴールデンウィーク明けまでの延長となるようだ。

行政の側の対応も現在はっきりとしていないので、今後この道路はどうなるのかも未定。いくなら今のうちであろうか。また行っちゃおうかなぁ・・・。

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