このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

「博多駅に入線する夜行列車」(2002.11.30)

 赤い機関車を先頭にホームにすべり込んでくるのは
 寝台特急「あかつき」である。
 短時間の停車の後、関西へ向けて走りだす。

 列車を待つ乗客はまばら。
 一人、少年が入線する列車をじっと見つめていた。
「RF-4E」(2002.12.08)

2002年の新田原基地航空祭で地上展示されていた
偵察機「RF-4E」。
航空偵察や災害地の情報収集が日常任務です。

こういう特殊運用機を見ることができるのも
航空祭の楽しみです。
「RED LINER」(2003.01.08)

JR九州は列車だけでなくバスも真っ赤。
デザインはもちろん“ドーンデザイン研究所”であります。
真っ赤な彼らは、他の会社の車輌に混じって
福岡と九州各地を結んでいるのです。

結構好きなんですよね。実はドーンのデザイン。
「和牛の放牧風景」(2003.02.10)

福岡県志摩町の和牛繁殖農家の放牧風景です。
耳に黄色いものがついていますが、これがスーパーの冷蔵庫から生産農家までを追跡(=トレーサビリティ)できる個体識別耳標です。

つまりは、食卓に上る牛肉の出発点なんですね。
「ネコのハナ」(2003.11.19)

妻の実家の主となっている雌のネコだ。
近頃は避妊手術をしたと言うこともあり、超重量級のネコに変貌しつつある。興奮すると手が付けられず、遊びに行くたびに私の腕やてのひらは血だらけになってしまう・・・。

ちなみに、3歳。好物は鰹の削り節。最近家出をしたらしく、無事に帰ってくると良いのだが・・・。
「冷やしパイナップル」(2003.12.15)

青島神社への参道を歩いてみよう。ビニール袋に入ったパイナップルがお土産屋で売っているのを見かける。青島へと続く橋を歩きながらパイナップルを食べれば甘酸っぱい風味に幸せな気分になるのです。

国道220号線沿いの店先ではこのパイナップルの皮をちょうどむいている所であった。
「黒毛和牛の子牛」(2004.01.05)

生後3ヶ月から4ヶ月くらい。このころになると、完全にお母さんの乳から離れ、ムシャムシャと粗飼料(=ワラやヘイオーツ等の草)を食べる様になる。

粗飼料をたくさん食い込むことでルーメン(=第1胃)が良く発達し、出荷前や肥育が始まってからのより多くの飼料摂取が可能となるのだ。
「つらら」(2004.02.02)

西都市銀鏡から南郷村への県道。その途中のヘアピンカーブの所に大きなつららができていた。キラキラと銀に輝くつらら。近づいてファインダーを覗き込む。

当たり前だけど“南国”宮崎にだって冬はやってくる。でも、つららの表面をゆくり垂れる雫。その向こうには春が待っています。

「西方海岸を行く試運転列車」(2004.03.10)

九州新幹線の開業を目前にして、第3セクター『肥薩おれんじ鉄道』に経営分離される区間を同社の試運転列車が走る。鹿児島への貨物列車は従来通りJR貨物のED76が牽くが、旅客はディーゼルカー“HSOR-100”形が受け持つ。

平成16年3月13日。「つばめ」が翔んで、南九州の交通網は大きく変わる。
「ワシントニアパームを抜ける風」(2004.04.02)

新年度になりました。再開してちょうど半年でしょうか。この間に“地に足の着いた情報発信”を心がけてきましたが、どれだけの人が足を止めてくれたでしょうか。

ワシントニアパームを抜ける風のように、南国“宮崎”からの風を届けたい。出来れば、ちょっとの時間でも良いから足を止めてくれる人が増えればなと思ってページをupする日々です。
「リンちゃん」(2004.05.10)

実家の飼い犬。秋田犬のリンちゃんであります。

大学に入る前に我が家へやってきたからもう今年で7歳か。数年前、子宮膿腫などの大きな病気をしたことはあったが、ここのところは元気が余るらしい。冬場になると家に上がり込んでストーブの前に陣取る妙な犬である。
「C55 52号機」(04.06.03)

昭和12年製造。山陽本線の小郡区に新製配置された後は、昭和14年に九州入りしている。昭和50年3月23日、九州での蒸機廃止の最後の日まで働き、今は吉松駅前で余生を送っている。保存状態も良好。最近、屋根が設置されたようだ。

筑豊や南九州で小工式デフの彼女の姿を見た人も多いのでは?
「神馬走る、泥はねあげて。」(04.07.10)

7月3日、4日に開催された西郷村の「御田祭」という田植え祭りの風景。この豊穣を祈願する祭りでは神田の代掻きのため馬を入れ、ねじりはちまき姿の若者が裸馬にまたがる。「ハイッ!!」というかけ声と共に泥しぶきがはねあがり、畦からその模様を見守る観客からは歓声が上がった。

泥をかかればその年の無病息災が約束される。
「つばめ」(04.08.12)

ある日、職場の車庫で拾ってしまったツバメのヒナ。もう約1月近く立つが、未だ手元を離れる気配がない。エサはミルワーム。ビタミン補給にとペット用のクロレラ粉末をまぶしてやったりしている。やっと最近少し前進。手のひらの上に置いたミルワームを食べることができるようになりました。

9月の半ばまでに手を放れなければ、動物園に預けることを考えています。
「新田原古墳群」(04.09.05)

宮崎県のちょうど中ほど。西都市にある西都原古墳群を中心に児湯郡市には今も多数の古墳が残っている。飼料畑の中、そして人家の傍ら。

新富町の春日地区には大規模な前方後円墳数基をはじめ、多数の円墳がある。画像は堆肥舎の近くにあった一つ。
「タワーサイロ」(04.11.02)

サイロとは内部を嫌気的な状態に保って、収穫した粗飼料を乳酸発酵させて長期的に貯蔵する施設のこと。この宮崎県にも北海道などで見られるようなタワーサイロはある。

実際の現場では維持できなかったりで敬遠しがちな構造物ですが、どっしっりと建つその姿には、カメラを向けずにいられないオーラがあります。
「高原町から見た高千穂峰」(04.12.20)

鹿児島、宮崎の2県にまたがる霧島連山の南東部に位置する標高1574mの秀峰。山頂の“天の逆鉾(あまのさかほこ)”はこの山が天孫降臨の舞台であることを示しています。

私は都城盆地よりは高原町から見える山容の方が好きです。1934(昭和9)年3月16日に日本最初の国立公園として認定されたことを知っていましたか?
「タゲリ」(05.01.12)

冬。宮崎平野にはチドリ科のタゲリがシベリアから遠路はるばる渡ってくる。平野部や台地の田畑で群れを作り餌をついばむ姿をたびたび見かけるが、何と優雅でコミカルなのだろう。冬の外回りの楽しみです。

(撮影地:西都市茶臼原
「肥前大浦付近を行く」(05.02.12)

海岸線に沿って連続するカーブを抜けてきた下りの特急かもめ。肥前大浦駅の直前で鉄橋を渡っていく。

線路からさらに海側にせり出した漁港で撮影したのだが、アングルを変えた上でもう少し空を省いて車輌をアップにすれば良かったかなと思う。
「堆肥調整風景」(05.03.08)

昨年の11月1日より家畜排泄物処理法が完全施行となりました。これは、畜産農家による家畜排泄物の野積み、地下浸透の禁止に加えて、一定以上の飼養規模の畜産農家には家畜が排出する糞尿を処理する施設の設置が義務づけられたもの。

施設を造ると行っても負担は非常に大きく、農家の中には処理業者に委託し、糞の処理を行っているところもあります。画像はそのような業者さんの堆肥化処理風景です。
「富士は日本一の山」(05.04.02)

スカイネットアジア航空の宮崎ー羽田線の機内より撮影。これまで遠望や実際に途中まで車で上っての富士山との付き合いはあったが、空からの・・・というのは初めてだ。

それにしても、火山だということを忘れてしまう位に美しい。間接したその姿をしばし小さな窓から眺めていた。
「山上の放牧地」(05.05.10)

都農町の尾鈴山系の山中の風景。初めてこの農家さんに行った時には「このような牛飼いは宮崎じゃない!!」とビックリした。だが、周囲を見渡してみると町営の牧場など草地放牧を標高の高い場所でやっているところは結構ある。

大きく傾斜した放牧地で牛は日長、草をはんでいる(夕方には餌を食べに牛舎へ戻る)。雨が降ったら批陰樹の下に集まる。のんびり、のんびり・・・だ。

「岐路に立つTR高千穂鉄道」(05.07.02)

陽光差す五ヶ瀬川を車窓に見ながら、同鉄道の主力“TR−100型”が走る。

同鉄道は西臼杵地域の重要な交通手段である。県北最大の観光地への足だけでなく、地域の重要な生活風景の一部なのだ。しかし年々沿線の利用客は減り、毎年拡大する赤字が経営に大きくのしかかる。“廃止”という声も聞かれるが、同社も賢明な経営努力を続けている。運転継続を応援していきたい。
「ラストスパート」(05.08.06)

昭和43年10月1日のダイヤ改正(通称“ヨンサントオ”)で新設された夜行寝台特急は、一時は都城まで足をのばすなど宮崎県内各地と関西を結ぶ重要なパイプとして長らく機能していました。

しかしながら利用者の減少に歯止めを掛けることができず、この10月1日のダイヤ改正で廃止されることが決定され、37年という長い歴史に終止符を打ちます。
「817系電車」(05.09.09)

登場は平成13年の篠栗線(福北ゆたか線)電化時。欧風の外観に、木と革を組み合わせた豪華な内装が特徴と言える。

JR九州の地方都市近郊区間におけるサービス改善を目的に全九州に進出。この宮崎でも湘南型の元急行用電車に替わって普通電車の顔となりつつある。
「ある夕暮れの新田原」(05.10.06)

たまに終業後に何も考えないで飛行機を見たくなることがある。ふと、空を見上げるとバンクしながら滑走路へゆっくり下りていくT-4が見えた。

「そうだ、新田原に行こう。」

そう思って新田原基地へと車を向けた。タッチアンドゴーを繰り返す数機のT-4。それを飽きることなく眺めていた。
「ゆいレール」(05.11.11)

これは沖縄県の物ですが、モノレールを初めて見たのは横須賀に住んでいた幼稚園の頃。上野動物園のものであった。

モノレールってこう見えても“鉄道”に分類されるのですね。確かに良く見ると『レール』という文字が隠れています。2本の轍をすぐさま思い浮かべてしまう私には微妙な違和感を感じて止まないのですが。
「新富町の施設園芸のピーマン」(06.02.01)

宮崎県は南部平野部、児湯地域の沿海部を中心にこのピーマンやきゅうり、トマト(ミニトマト含む)といったビニールハウスを利用した“施設園芸”という促成栽培が盛んです。

安価な輸入野菜の台頭、そしてハウスの暖房に必要な重油価格の高騰を受けて、国内の生産農家は非常に大きな負担や販売計画の見直しと言った重い課題が目の前に立ちはだかってくると思います。

その一つの打開策というのが市場での付加価値を意識したブランド作物の展開であって、宮崎で言えば厳正な栽培基準による農薬の使用軽減、良質たい肥の使用による化学肥料の施肥軽減が決められている“みやざきエコ野菜”のブランドにあると思うのです。

この日伺った農家のビニールハウスでは、初春の陽光に照らされたピーマンが輝いていました。
「またも寝台特急が消えていく」(06.03.05)

東京と山陰地区を結んでいた歴史ある寝台特急がこの3月18日のダイヤ改正で消えようとしている。

戦前の山陰線の優等列車がもともとのルーツであるのだが、昭和26年11月25日に急行に格上げされた際に“いずも”という神話の香りのする愛称が与えられた。その後、昭和47年3月15日のダイヤ改正でブルートレインの仲間入りを果たしている。以来、春夏秋冬。人とその物語を運び続けてきた。

東京駅東海道本線10番ホームを発着する同僚達がさよならをしていく中で最後まで単独列車であり続けた。

廃止に際し、終着となる鳥取県側から存続の要望も出された。それだけ、地元に愛された列車であった。
「夏のえびの高原」(06.08.11)

年間80万人余りの観光客が訪れるせいもあってか、野生の鹿は人間をおそれることもなく草を食べては移動していく。・・・とはいっても、こちらがある程度の接近距離を侵すと、その分だけ群も移動していくのはおもしろい。

じっくり観察していると、絶えずこちら側に耳が向いているし、時々顔を上げては目があったりもする。

・・・でも、人間の与えるエサには弱い様だ。子供の差し出す手に進んで口を持っていく。周囲の環境を替えてしまうのはこんなにも簡単です。野生動物にエサを与える絶対にやめましょう。
「へちまの花」(06.09.05)

ローカル線の列車の撮影に訪れたJR吉都線の谷頭駅の花壇に植えられていたヘチマ。

九州のローカル線では昔ながらの駅本屋の代わりに金魚鉢の様なガラス張りで雨をよけるためだけの待合室が置かれていることが多いのです。そのような駅の風景は殺風景である場合はが多いのですが、駅の管理を任されている方が植たのでしょうか。草花は見事に彩りを与えてくれます。

そんな花のひとつをクローズアップしてみました。
「高千穂峰」(06.10.06)

天候がなかなか定まらないこの季節。高千穂峰がこのようにくっきりと見えるのは珍しい。

いつもは晴天であってもその頂きに雲の帽子をかぶっていることが多いのだ。このように美しい山容を眺めることができる日は(例え平日であろうとも)霧島へのドライブを無性にしたくなるってモノ。

こういう気持ちを大切にしたくて、ある土曜日の朝、私はハンドルを握って西を目指したのでした。
「向日葵」(09.07.22)

今年は空梅雨だった。

いつの間にか、職場の花壇に植えられていたヒマワリは急激に幹を太くし、とんでもない高さへと成長していた。

頭上の遙か上に黄色い大輪の花が咲く。

ここのところは不安定な大気の影響を受けて強い風が吹き荒れたヒマワリだったが、花はその大きさから結構な重さだろう。だが、太い幹はまったく動じなかった。
表紙画像美術館
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