このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

(2012.07.28)
山陽新幹線の博多直通以前。

九州と本州との間にはたくさんの昼行急行電車が設定されていた。食堂車やグリーン車を連ねての長編成。先頭車両は誇らしく“愛称”の入ったヘッドマークを掲げていたこともあったという。九州島内でも同様。当時は電化工事の真っ最中。今のように在来線での特急の運転本数が多くなかった時代には特急電車の感激を縫うようにして、都市間輸送の補完役を担っていた。

・・・私はその時代に産まれていなかった。その鉄道風景を知らない。

昭和59年。横須賀から九州へと越してきた私の眼前には想像できないくらい濃密な鉄道風景が広がっていた。目に映る車輌の全てが初めて見るものばかりであったし、数えるほどしか見たことが無かった首都圏の国電よりもおおらかに見えたのだった。おそらく先頭車両の表情による物だろう。

急行型電車に始めて出会ったのはそれから。帰省で利用したL特急“有明”の車窓や降り立った西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)で見かけた時だったか。クモハ+モハという動力車ユニットにクハという3輌編成はえんじ色にクリーム色の帯。どこか記憶が霞んでいるのだが、これは80年代の活発な活動を示していた桜島のせいだろうか。

鉄道趣味に染まるようになって、475系が銀水駅までやっていている事を知った。青春18切符を駆使して九州島内を移動する際、熊本地区から大牟田あたりまでお世話になっていた。急行運用から解かれた事で475系は輸送量の多くない地域の輸送への従事することとなったのだが、3輌という短編成化の過程で不足した制御車を補うために付随車の先頭車改造が実施されている。制御車クハ455のうち、600番代を付けたのがそれで、元はグリーン車からの改造であった。運転台が設置されたと言っても、元車の特徴は色濃く残している。サンバイザーの付いた大きな窓、座席・・・。たまたまこの車輌の運用に当たったときには、結構ゆったりと過ごしていた様な気がする。

2000年。

JR九州はミレニアム企画として、所有する国鉄型の車輌に民営化前の塗色“国鉄色”を纏わせることをやった。鹿児島区に所属していたG-5編成にもその白羽が立ち、懐かしいえんじとクリーム色の電車が復活することとなった。この頃、私は大学進学のために宮崎にいたが、不思議と線路端で出会うことがなかった。

そして2012年。

南九州の地方輸送に大きな貢献をした475系は2007年に運用を離脱し、国鉄色を纏ったミレニアム編成も老朽化のために廃車されている。久しぶりにPCのフォルダを整理したのだが、2007年の当時の鹿児島総合車輌所の一般開放の際に展示された編成を撮影した画像が数枚出てきた。噴煙をもぅもぅ・・・と上げる桜島を図案化した快速“錦江”のヘッドマークを掲げる姿。秋の陽光が注ぐ車内の様子をおさめた数カット。

せっかくなので、ご覧いただこうか。
急行電車 -ある日のクモハ-
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