このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

17年間の軌跡
8620型蒸気機関車の“58654”号(=以下ハチロク)。1970年に廃車後、長らく肥薩線矢岳駅に保管されていたが、1988年8月にその良好な保存状態から劇的な復活を果たす。以来17年、豊肥線の熊本−宮地間をメインにSL快速列車“あそBOY”号として運転され、年に数度は廃車時の古巣、人吉を目指す。

同機が牽引する3両編成の改造50系客車はウエスタン調の内外装が特徴であるが、牽引機のハチロクは復活当初、ステンレス帯などの過剰な装飾はあるものの、化粧煙突、スポーク動輪に細めの小倉工場式除煙板という均整の取れた美しいプロポーションを誇っていた。1992年にはハチロクの車体色がダークグリーンの英国調の塗装が施された。車体の各所が金メッキの金属帯で装飾され、さらに炭水車には水戸岡イズムバリバリの大書きのロゴが入っていた。

私がこのSL列車に始めて乗ったのもこの頃だ。上り列車に乗るべく宮地駅へ向かったのだが、待機場で時間を待つギラギラ光った姿を見て鳥肌が立った。転車台脇で間近に見る生きた蒸気機関車の何と美しいことか。静かで、力強くて、そして曲線を描く車体はどこか女性的で妖艶だった。

実物に出会う前に鉄道雑誌上でとグリーンに塗色変更された姿を見ていたが、やはり実物。鉄道趣味人の中では非難の声の方が大きかったようだが、私は正直かっこいいと思った。
高速列車全盛の今では60kmという最高速度はどちらかといえばノンビリである。

私を乗せた50系客車はリズミカルにジョイントを刻み、時折先頭を往くハチロクがかん高い汽笛を鳴らした。

それが私には寂しげに聞こえたのだった。
あれからどれくらい経っただろうか。

永遠とも思えた復活運転ももうすぐ唐突な終焉を迎えてしまう。この8月下旬をもってハチロクは火を落とす。この期間に運んだ乗客は50万人。これほどまでにたくさんの人々に幸せな時間をプレゼントしてきたのだ。阿蘇の観光浮揚に一役買い、地域に活力を与え続けてきたと言える。

プレスでは台枠部分に大きく負担がかかっているということであり、阿蘇外輪山を登り切るためには避けては通ることができない33パーミルの3段式スイッチバックが車齢80年以上を数えた老兵には大きな負担となっていたのだろうか。そして維持が出来ないと言うのも大きな原因なのだそうだ。整備を行う技術者がいればもう少し活躍する姿を見ることが出来たであろうが、蒸気機関車が本線上から姿を消して30年近くが経つ。技術指導を行うことが出来る技術者も少なくなった。

JR九州に車籍を置いて17年。春の野焼きや夏の阿蘇野の緑、ススキ揺れる秋、そして白く化粧した冬の阿蘇五岳・・・。春夏秋冬の全ての季節と、晴れた日、雨の日、霧の日、雪の日・・・と移ろいやすい高原の空。私はあまり知らないが、17年という歳月は阿蘇の雄大な景色を形作る要素の一つと成りうるに十分な時間だったのではないだろうか。

この夏限りで阿蘇の外輪山に響く汽笛の音色は聞くことが出来なくなる。九州の鉄道風景はますます寂しくなっていくのではないだろうか・・・。

(幸い、JR九州では将来的な復活の道も模索しているという。それが可能で有れば心から期待したい。)
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(05.06.28)

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