このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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九州を走り始めたのは1965年。
当時、九州では無煙化の大波が押し寄せていた時期であり、電化の進捗と共にクリーム色の車体に赤い帯の明るい電車特急が走るようになった。博多駅を起点とした九州内の都市間輸送の主役となったのだ。
その後、山陽新幹線の西進に伴いその活動範囲は狭まり、使用される列車愛称も変遷する。国鉄の斜陽が目立つようになったが、昭和50年代は鉄道輸送もまだまだ活力があり、九州内でも食堂車を連結しての11両編成が行き来していた。
民営化後を前後して多数の改造形式が誕生。これが今日の九州の485系の特徴となっているが、これを機に一気に輸送サービスの充実が図られた。その後、JR九州が送り出した個性的な特急の登場により数を減らしていくことになる。たが、リニューアルによって赤や緑・・・と装いを変え、九州の鉄道風景を鮮やかな物とした功績は大きい。
「つばめ」、「はと」、「なは」、「有明」、「かもめ」、「みどり」、「にちりん」、「ハウステンボス」、「きりしま」、「ひゅうが(日向)」。
これまで九州に足跡を残した485系特急たちだ。
既に鹿児島行きの新幹線全通は迫ってきており、九州で485系の活躍を見られるのもわずかとなった。特急電車の「女王」と称される485系も今では日豊本線に押しとどめられてしまっている。
この項では、彼女らの最後の活躍を追ってみたい。
(10.01.26)
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