このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

消えゆく流星
この項を打っている平成17年7月29日現在、九州を走る寝台列車は東京と大分、熊本を結ぶ「富士・はやぶさ」と関西と新大阪と熊本を結ぶ「なは」、そして京都発長崎行きの「あかつき」と併結運転を行っている日豊線宮崎行きの「彗星」だけとなってしまった。

鹿児島、長崎、日豊各線に長大編成の濃紺色の列車が何本も走っていたのはそう昔のことではない。この10年くらいの間で一気に減ってしまったのだ。博多発着の「あさかぜ」、熊本・長崎行きの「みずほ」が消えた平成7年12月のダイヤ改正が始まりである。それ以降は運転区間短縮や(実質的に運転列車の減少である)併結運転がダイヤ改正の度に発表されるようになった。近年の急速な整理には寝台特急が時刻表の隅っこに追いやられているような気がしてならない。

何故にここまで少なくなってしまったのだろうか。時代にそぐわない、合理化・・・。ビジネス客にとって有効であった運転時間帯も今は高速バスや飛行機には太刀打ちできなくなったし、その他にも運行会社であるJRが大きなテコ入れをしなかったのも大きな要因だろうか。九州島内ではぴかぴかの在来型や特急型の列車が幅を利かせているが、寝台列車は外内装ともに国鉄時代と大きな差はない。個室寝台を備える車輌を連結させたりしているものの、大きな利用者upには繋がっていないようだ。個人的には寝台列車の醍醐味はとてつもなく長く感じる時間の使い方だと思っているのだが、ほとんどの旅行者にとっては長い拘束時間など苦痛以外の何物でもないだろう。

「彗星」も平成12年3月以前は単独で運転されていて、都城まで足をのばしていた時代もあった(〜平成7年)。私が宮崎に来た頃はちょうど使用客車も24系客車が使用されていて、南宮崎の駅で「富士」と共に昼寝をしていた。「彗星」には九州ではなかなか見る機会のない銀帯のカニ24−100が連結されていたので、それが珍しくて眺めていた物だ。

今、閑散期には4両編成という鉄道模型のような編成を引っ張ってED76が日豊本線を上下する。そうであっても、夏の盛りの今、赤い電気機関車と濃紺の客車は非常に南国らしい列車風景を見せてくれている。この「彗星」もやがて記憶の中へと走り去っていくのであろうか。
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(05.07.29)

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