このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

九州交流機の系譜 (goida編)
ED75とED76。真っ赤なED級の2形式。

九州に引っ越してきて以来、もっとも馴染みのある機関車である。九州一の大動脈である鹿児島本線沿線に越してきたこともあり、よく学校が終わってから友達と線路端へ電車を見に行っていた。

南福岡駅から竹下寄り。ちょうど吉野石膏の工場がある付近。近くにはヤギを飼っている農場があって(今では跡地がマンションとなっているが、あのヤギは何の目的で飼っていたのだろうか。近隣で悪臭問題が起こりそうなレベルの臭いであったが、肉用?)、そのもう少し先に鹿児島本線をまたいでいく西鉄電車が見えた。そこに立って長い時間行き来する列車を眺めていたが、目の前を通過する機関車の迫力というものを体感したのはその時が初めてであった。

ED75−300番台は小柄な車体ながら、たった1両で長大なコンテナ列車を引く姿が特に印象的であった。長崎本線をはじめ鹿児島本線熊本以北での特急仕業を持っていたようだが、不思議と見かけることはなかった。“鉄道ファン”の誌面に長崎本線で東京発の寝台特急“さくら”を牽く姿が紹介されていたことがあったが、東北の配置機よりも取り付け位置の低いヘッドマークに何だか違和感を持ってしまう。その後、受け持ちの仕業を減らしながらもしばらく働いていたようだったが、民営化と前後して除籍となり、香椎の機関区跡にED76形の初期型などと共に留置されていた。平成元年頃には解体も完了したのではないだろうか。
ED76形は基本番台の0番台と高速貨物仕様の1000番台が九州で働いた。

門司、大分、鹿児島と分散配置されていたが、当時はどこの所属機なのか全く気にもとめていなかった。私にとってのスターは日本最長距離特急のタイトルホルダーであった“はやぶさ(東京−西鹿児島)”であり、時折東京へと上っていく姿をあこがれを持って見つめていた。私自身は見たことがないが、日によっては上記ED75形との重連での運転があったらしい。ED76形はこの“はやぶさ”仕業の他にも番台の区別無く九州中を駆けめぐっていた。

民営化の後、鉄道とより身近に接するようになってから、九州島内で旅客を引くJR九州のED76形との関係が親密になる。別に貨物列車が嫌いというわけではないが、ワムを連ねた一般貨物ならまだしも、コキ、コキフの高速貨物に馴染めなかっただけだ。中学生の頃、何本もの寝台特急が鹿児島本線を下っていく光景は至福。それが“みずほ”の廃止、“さくら”と“はやぶさ”の併結と列車本数を減らしていった。すでに長崎行き“さくら”も廃止され、鹿児島本線を走る東京口の寝台特急は“はやぶさ”だけになってしまう。それも運転区間の大部分で日豊本線の“富士”との併結運転によって細々と・・・。

本州とを結ぶ旅客列車も九州新幹線の全線開通までであろう。JR貨物の所属機についても安泰ではなく、後継機の開発も既に始まっているそうだ。時は待ってくれないのは当然なわけで、どんどん私の少年時代に感じていた輝きは小さくなっていく。
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(06.01.06)

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