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肥薩線の 2004年3月13日
− 吹いた“はやとの風” −

(04.03.19)
2004年3月13日。南九州の交通事情は大きく変わった。九州新幹線鹿児島ルートの新八代〜鹿児島中央間の部分開業、そして熊本〜鹿児島を内陸部で結ぶ新たな観光ルートの創設である。前者では八代〜川内間がJR九州の営業から切り離され、第3セクター“肥薩おれんじ鉄道”として再出発した。特急“つばめ”及び“ドリームつばめ”は博多と新幹線をリレーする特急“リレーつばめ”、“有明(“ドリームつばめ”の区間短縮により“有明”に統合。夜行列車ではなくなっている。)”と姿を変えた。

一方、もっとも大きな動きがあったのが後者。中九州では特急“あそ”の運転区間延長(別府〜熊本〜八代〜人吉を結ぶ“九州横断特急”への愛称変更)、九州最後の急行列車“くまがわ”の特急格上げ(愛称そのまま)、久大本線の湯布院観光の補完列車“ゆふDX”設定が挙げられる。人吉以南の肥薩線では、これまでキハ31系で運行されていた簡易式お座敷観光列車(としか言えないわなぁ・・)“いさぶろう・しんぺい”のリニューアル、吉松〜鹿児島中央間に特急“はやとの風”の新設だ。もう少し南へ目を移せば、指宿枕崎線では展望窓を設けたキハ200系快速“なのはなDX”の運行開始があるが、とにかく言ってしまえば
“別府〜熊本〜八代〜吉松〜鹿児島中央”という交通の流れが新たに出来たのであり、人吉や霧島などの古い観光地がスポットを浴びているということなのである。
吉松駅。かつては名門“吉松機関区”があり、吉松町は鉄道の町として栄えた交通の要衝。その名残である駅舎だけが不似合いに立派な印象を受ける同駅であるが、ビックリするくらいたくさんの人が訪れていた。入場券を買うときに駅員に聞いたが、こんなに人が多きことは普段無いという。「忙しいね。」とニコニコしながら切符を渡してくれた。

駅前も多くの人がおり一様に顔が明るい。特急設定で町が明るくなる。今も昔も鉄道が町の人の心の中の中心になっているのだろうか。駅前広場では、当日、イベントも開催された様だが、私がホームにたった頃には片づけが・・・。駅前に花が出してあったが、温泉間がオープンしたようだ。駅隣で保存されているC55-52号機にも屋根が架けられている。

こっちまで嬉しくなってくる。
入線する姿を捉えようと、跨線橋に陣取った。鹿児島中央からの特急列車を迎えようとホームには地元の人が立っている。カメラを構えた鉄道ファンも数多く。でもあまり殺伐とした感じはない。新幹線開業で湧く鹿児島中央駅ではきっと報道に鉄道ファンにギラギラしているのだろう。なんて言うことを考えながら、点滅を始めた栗野側の踏切を眺めていた。タイフォンと共に真っ黒な車体がカーブを曲がってくる。そのままするするとホームへと入線してきた。“はやとの風”だ。
特急はやとの風”号。使用形式は本来なら近郊形ディーゼルカーであるキハ40系を改造の上用いている。向かって前方がキハ147−1045とキハ140−2066の2両編成。JR九州では一般型車輌の車体色はアイボリーに青色の帯と決まっているから、真っ黒の車体というのはビックリである。車体各所に付けられたエンブレムや愛称・形式プレートはおそらくは蒸気機関車をイメージしたものであろう。きらりと光るそれによって、近郊形形式という種車のイメージから完全に脱している。特急列車でありながら「ワンマン」での運行。全国的に見て優等列車のワンマン運転というのは珍しいのではないだろうか。
上の画像にも車輌の天地方向に大きなガラスがはめられているのが見えると思う。この車輌の最大の特徴は展望スペースを備えることである。

インテリアはこのガラスに向かって座るように木製の座席が配されている。

駅に停車中はホームから丸見えで恥ずかしいことこの上ないが、走行中は非常に気持ちが良いであろう。
そうこうしていると、人吉からの観光列車“いさぶろう・しんぺい”が峠を下ってきた。

並んで停車中の姿を跨線橋から写す。
この“いさぶろう・しんぺい”も“はやとの風”と同じキハ40系を使用しているが、落ち着いた朱色という正反対の塗色とテールライト横に新たに装けられたヘッドライト(おそらくフォグ灯だろうか)の為、全くの別形式に見える。“はやとの風”と同じく、展望スペースが設けられ、車内は木の内装と白熱球の色が暖かい(内装については“はやとの風”と同コンセプトだ)。エンブレムが輝く列車からはたくさんの人が降りてきた。ホームで見ていても乗ってみたいなと思わせる車輌である。

ホームの端に止まっていたキハ58+キハ28を撮影して戻ってくると、女性スタッフの方が“04.03.13”という日付の入ったプレートを持って列車の前に立っていた。私は反対側のホームにいたのだが、カメラを持っているのに気づいたのか気を利かせてこっち側を向いてくれる。やはりJR九州のサービスは気持ちがよい。


肥薩線の沿線では“特急”が走ることに活性の夢を託す。吉松町には駅前に温泉間がオープン、古くからの温泉町である栗野町や新川渓谷温泉、霧島温泉を抱える牧園町では利用者upを期待する。事実、牧園町はダイヤ改正の日に霧島温泉郷の窓口駅である“霧島西口”駅を肥薩線開業100周年を記念して“霧島温泉”駅と改称している。その駅前で毎月第2日曜日に“ふれあいマーケット”をやるというのだから、気合いが入っている。鹿児島県内最古の木造駅舎が残る隼人町の“嘉例川駅”では、JR九州から町へ所有が移された。今後の活用については、後世に引き継ぐ計画らしい。駅の周辺に数えるほどの家しかない山間の小駅でも、駅前広場では“祝「はやとの風」号”の看板がかけられ、地元の古老が列車を待つ観光客に駅舎の歴史を語っていた。

1日2往復の特急列車の存在が沿線を変える。今も昔も、鉄道が持っている役割というのは重く、不変のもののようだ。
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