このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

車を持つようになって長い汽車旅をしなくなった自分がいる。中学から高校、大学2年くらいまで、大きな休みには青春18切符を使っての鈍行旅行が続いた。何処か遠くへ行くときにはなるべくJRを利用するようにしていた。

元々、ローカル線が好きな私は、地元九州の路線を乗りつぶすべく、最寄りであった南福岡駅から鹿児島本線の一番列車に乗り込んだ。久留米から西へ、博多から筑豊へ・・・。結構いろいろな車輌形式のシートに座った。まぁ結局、西九州など全くの手つかず。その夢のような物をかなえることが出来ないでいる。

出会いというものは当然の如く無かったが、移りゆく車窓を眺めているだけで幸せだった。早春の遠賀川の光景。菜の花が一杯であったし、日南線から見た太平洋の濃いブルー。浮かび上がる白い雲が印象的であった。それに、何度も利用した肥薩線では春夏秋冬の季節の移ろいを身をもって体験している。

また、夜行列車に乗ることはずっとあこがれであったし、実際に乗ってみて“ずっぽり”その魅力にはまりこんでしまった。延々と刻み続けるジョイント音の向こうに何かしら答えのような物があるような気がして、不夜城の如くそびえる瀬戸内のコンビナートの照明を眺めていたこともある。何より、朝っぱらから駅弁を食べる(私が東海道ブルトレに乗ったときには食堂車の営業は止めていたが、販売所の機能は維持していた。前の晩に弁当を予約しておけば、座席まで持ってきてくれたと記憶している)贅沢というのも最高であった。そういえば、弁当を食すというのも汽車旅の一つの醍醐味だった。土地土地の名物がちりばめられた弁当をほおばるのはやめられない。

どちらにしても共通するのは、美しい風景や自分の知らない土地の情景がずっと車窓に映し出される点。そして、汽車旅自体が白昼夢の中の出来事ながらとてもリアル(そりゃそうだ。言い換えれば現実からの逃避という側面もあった。特に私の場合は)・・・ということであり、その旅の中で見聞きした物は鮮明に頭の中で残り続けること。そういったものが後々、写真を撮る際にふっと頭の中に浮かぶこともあり、ファインダーの中で構図を組み立てる上での一つの材料になったりもする。

・・・と、あまり難しく考えても仕方がないが、自動車での移動がメインとなった今、時々強烈に列車に乗って遠くへ行きたくなることがある。京都行きの寝台特急“彗星”を見てもであるし、『志布志行き』の方向幕を提示した日南線のDCを見ても・・・。また、駅のコンコースでふと振り返ったときもそのような感覚に陥り、うろたえることがある。

忙しいだの、お金が無いだの・・・、何かしら理由を付けて座り込んでいる自分の姿が見えるから、そうなってしまうのだろうか。あぁ、汽車旅に出たい。
汽車旅
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(05.04.20)

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