このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

日豊路に彗星が走った日々
平成17年10月1日(金)。

南宮崎駅から京都行きの寝台特急『彗星』号が最後の旅路に就いた。ED76−87号機を先頭に動力分散方式の14系15型客車が6両が連なる。閑散期には中間の車輌が抜かれ、4両で編成を組むことが多い『彗星』だ。普段目にしている短い編成からすると、“基本”とも言える6両編成がすごく豪華に見えた。

平成9年9月30日には日豊本線の大分以南から東京行きの『富士』号が消えた。それから8年。本州との唯一無二の命脈であった『彗星』号を失う。昭和43年の通称“ヨンサントオ”のダイヤ改正によって新設され、新婚旅行ブーム等の需要に押され、一時は5往復を数えたこともあった。だが、結局、交通事情の大きな変化には逆らえず、徐々に縮小の道をたどる。

私にとっての『彗星』号と言えば、平成7年までの都城駅の留置線に昼寝をしている姿であり、南宮崎駅で車輌整備を受ける姿である。走行中の姿というのは不思議と見たことが無く、いつかちゃんと向かい合ってみたいと思っていた列車であった。

廃止を知ってからの数ヶ月間。私は機会を見つけては線路端に立つ。廃止までのわずかな期間の記録であるが、感想を戴ければ幸いである。
(05.10.02)
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