このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

レッドトレインは駆け抜けた
50系一般型客車は昭和52年、老朽化が進んでいた地方路線の車輌改善を目的に登場し953両が製造された。赤2号に塗られた車輌はブルートレインと呼ばれた濃紺の列車に対してレッドトレインと呼ばれる。登場当初は個性のなさ故、青や茶色の旧型客車を駆逐していく姿にファンも嫌悪を示したそうだ。

北は北海道(51番台)から東北、山陰、四国と全国津々浦々に配属され、九州でも赤い機関車と手を取った姿が見られた。しかしながら薄幸というべきか、非冷房車輌であったこと、電車・気動車列車と比較した際の運転効率の悪さといった理由などから、国鉄末期〜民営化後にかけて急速に淘汰が進んだ。

JR九州では冷房化されたりとしぶとく走り続けたのであるが、ついに平成11年の秋に久大本線、そして平成13年10月には通勤通学の時間に限って2往復が存置されていた筑豊本線から姿を消す。

何度か筑豊本線の列車に乗ったことはあるが、電車にはない優しさを持った車輌であったと記憶している。電車特有のモーター音が無かったからだろうか。自分以外に乗客との距離感を非常に近く感じたのだった。

幸いにもその50系の末期の姿を目で見、フィルムに残すことが出来た。幾つかお目に掛けようと思う。
(03.03.12)

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