このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

由布
YUFU
私が駅で写真を撮り始めた中学生の頃にはまだまだ鹿児島本線を行き来する“行列車”も健在で、ディーゼルエンジンの重厚な音を響かせながら博多とそれぞれの行き先を結んでいた。

この“
由布”もそれらのそのうちの一つで、博多を出た後久留米より久大本線に入り、日田や由布院などを経由して別府へと向かう。使用車輌形式はキハ58形式。白色系の車体にオレンジと濃青のラインの“九州急行色”を身にまとって、九州を横断する風になったのだった。

“由布”の誕生ルーツは
昭和36年10月に産まれた博多−日田−別府−小倉−門司港を結ぶ準急“由布”。翌年に門司港−小倉間が見直され、直方−由布院間の準急“日田”との併結運転などを経て、昭和41年3月に急行へと格上げされた。

このころのDC(=ディーゼルカー)準急やDC急行列車では分割・併合運転が盛んであり、行き先の違う複数の列車が連なって何本も走っている。これは気動車の機動力を活かした運用であり、“
多階層建て列車”といいます。急行“由布”、と急行“日田”の場合2系統の列車の併結となるから、“2階建て列車”となるんですね。しかし分割併合の手間がかかるなど、後々縮小されていく傾向となったのだった。
その後、昭和43年に博多−別府間という形態がとなるが、昭和50年代半ばまで、前述の“日田”や門司港−日田間急行“はんだ”との併結運転は続いている。
そうして、私が中学生の頃だった平成4年7月。四国から渡ってきたキハ185系を利用した特急“ゆふ”へと格上げされることとなった。九州の屋根を走り抜ける真っ赤な車体は、沿線の濃緑の風景に美しく映え、魅力ある九州の鉄道風景を演出しているのである。

そして、登場時と同じく大都市福岡と大分を結ぶ九州横断列車としての役目を果たすと同時に、近年では従来停車駅の一つであった由布院が観光地として脚光を浴びるようになったこともあり、同じ区間を走る特急“ゆふいんの森”号を補完する意味合いも強くなっている。
特急への格上げが近くなった時期、長崎区から大村線のシーサイドライナー色の車輌が“由布”の運転を受け持つ竹下区に転入してきた。

これまでの“九州急行色”との混結も見られたが、ブルー1色の編成を見た日には何だか非常に得をした気分になった。
私が“由布”を目にしたのは、走行中の姿よりも博多駅の6番ホームで発射ベルを待つ姿や、竹下での昼寝中の姿の方が圧倒的に多い。ブルンブルンというアイドリング音を周囲に響かせながらの姿である。

一度、ホームの上でクマゼミの声が響き渡った事があったが、声のする方向を探すと、セミはこの“由布”の先頭車の連結幌にとまっていたのだった。

これと言ったエピソードもなく、のどかな光景というか、当たり前の光景しか印象に残っていないのである。なんとも不思議だ。

改めてネガを見返してみて、特急列車のコマが多い反面、急行列車のものが極端に少ないことに気付いた。ここに挙げた画像も特急格上げの情報が入ってきてからのものばかりで、今になってもっとカメラを向けていればと後悔するばかりである。
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(03.02.10)

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