このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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どんよりとした空に、絶叫はとどろくか!?
天気はまだまだ回復しそうにない。
絶叫大会に先立って、主催者側のあいさつがある。
「天気のこともあって中止しようかとも考えたが、たくさんの人が来てくれているだろうし、そんな人たちを裏切ることもできない。中止になんてやっぱりできない。」
そのような内容のあいさつを聞きながら、「来てよかったぁ・・・。」と気分は晴れたのあった。
そして絶叫大会は始まったのである。まずは子供の部30名。続いて大人の部が70名だ。皆が段上で測定器に向かって叫ぶ。・・・私は出たのかって?・・・出てません(自爆)。
子供の部ではかわいらしく、
「大きくなったら“アバレンジャー”になるんだー!!」
とか、
「おこづかいアップしてくれー!!」
なんて、ほほえましいのである。
自分にもあげな頃があったなぁ・・・なんてちょっと懐かしくもあったのだった。
大人の部であるが、
「政治家は選挙の前だけいい顔するな!!」
とかシビアなモノから、
阪神のはっぴを着ておきながら、
「阪神優勝万歳。でも来年はこれの年です。」
なんて巨人の旗を出すといったユニークなもの。
悪天候を忘れるほど楽しめたのであった。
中でも、「ダイエーを九州から出すなぁ!!」と言い放った人には、是非拍手を送りたい。
きっとやるやつがいるだろうと思っていたのがプロポーズだ。男性が「来年からもずっと(絶叫大会に)来ようね。」と叫ぶと、その後に続いた相手は「お願いします。」と見事受け取ったのであった。思わず拍手が開場からあがった。
こんなことを叫んだ人もいたっけ・・・。
「絶叫大会での3大意味無し。
1.牛肉が食べられない人!
2.叫ばない人!(<ドキッ)
3.牛ーーーーーーーーーーーーっ!!」
これを聞いて来年は叫ぼうと思ったのであった。
そして入場券に印刷された番号での抽選大会である。商品はワイン、ドレッシング、お米、焼酎、宿泊補助券(湯布院旅館組合の)などなど、どれも手に入れたい一品である。でも邪念ばかり抱いている私には、神様は当ててくれない。
この絶叫大会では、声の大きさ、ユニークさなどそれぞれで賞が贈られる。帰る時間もあって残念ながら授賞式は見ることができなかった。
“牛喰い絶叫大会”の始まりは、昭和47年。作業の機械化による農耕牛の減少により、採草地であった原野に開発の手が入り始めた中で起こった“牛一頭牧場運動”がルーツである。
また都市に住む人たちに1口20万円で蓄主になってもらい、利子の 代わりに湯布院の特産物を毎年贈る。畜産の振興をはかれるだけでなく、都市と農村の交流も自然と生まれる。
その中で年1回、オーナーと肥育農家と一緒に牛を食べようと交流会を行っていたのだが、これが発展して、体育の日に牛肉でおなかいっぱいになって思い思いの言葉を叫ぼうという今の形になったのである。
昭和50年の第1回から数えて、来年は30回目の開催。是非とも参加したいと思っているのだが、晴れてくれよ!!
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