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論文 公共溝渠の源流探し(1)
掲載誌情報

東京交通短期大学 研究紀要 第20号
2015年03月23日発行
発行地:東京
発行所: 東京交通学会
ISSN 0917-5237
26cm

別タイトル:The survey of headwaters of urban drainage ditches
遠藤ユウキ Yuuki Endo

研究紀要収蔵施設

国立国会図書館 (東京・関西):(請求記号 Z22-1648)

抜刷り(P.129-P.150)排架施設

葛飾区立図書館 (中央図書館など数館):(記号 K 54.73 エ)

要約の一部

地形ブームから暗渠やドブ川の痕跡を探す「まち歩き」の愛好家が増えている。
都市化が進んだ都心だが、台地の谷には地形が残り、消えたドブ川を感じることが出来るからだ。

しかし、低地では地形の雰囲気からドブ川の跡を特定するのは難しい。

川の水は「上流(川上)から下流(川下)へ、高いところから低いところへ」流れるものだとするのは、台地での固定観念であり、低地では常時逆流している川も存在する。
低地においては、川の水はどちらにでも流れる可能性があるのだ。

管見の限りだが、書籍や資料では東京低地のドブ川について、ドブ化に関する詳しい変化が記述されていない。
そして、逆流を含む流下方向(流水方向)に関する記述もなされておらず、結果的に、愛好家達にとっては間違った情報となっていた。
古地図から考えられる流水方向は、少なからず間違っているのだ。

本稿は、水面の消えたドブ川跡から、当時の流水方向を考察するものである。

第1部では、河川やドブ川(公共溝渠)についての概要と、低地(東京都足立区・葛飾区・江戸川区)における流水方向を考察する必要性について述べる。
続く第2部では、1980年代に行なった筆者の調査を元に、ドブ川の源流と流水方向を考察するものである。
この考察から、ドブ川時代の公共溝渠に源流と呼べる存在はなく、あるのはいくつもの分水界であることが判明した。

目次

はじめに
暗渠やドブ川の痕跡を探す
台地の固定観念と流水方向
河川や水路について
数字から見たドブ川の減少
東京低地の歴史
関東流伊奈氏の葛西用水と、紀州流井沢為永の上下之割用水
本当の地面の高さとは
中川や大河川からの取水
おわりに

使用写真14枚:全て筆者撮影(1983年〜2015年)
地図1枚:{葛飾区役所(1951)『新修 葛飾區史』付録「最新葛飾區圖」をもとに修正加筆}
表1枚:『第一回 統計江戸川 昭和43年版』
注23、注以外の参考文献19、

補記

P.143 の「写真12」のコメント:”土揚敷”と区の方では呼んでいた。
P.148 の⑩新川にある「コッチ」に対する語を省略していますが、「小名木川」が干満で逆流すると書いてありました。

誤字

P.133 26行目(空欄除く):下水が(誤)→下水を(正)

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