このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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東京の廃駅

東京のど真ん中に廃止になった駅がある? そう、あるのですよ、しかもこんなに沢山。
地下にだって当時の駅が残されています。都市伝説なんかじゃありません、本当なんです。
そしていくつかの廃駅跡は一般人でも十分撮影できる状態にあります。

興味持たれた方や研究者の方へ:開業/廃止のデータは参考文献書くの面倒なので載せてませんが、それを調べるのも面白いですよ。
*注:写真は最新状態の駅跡ではなく、少し前や末期、現役時も混じっています。廃駅以外に旧駅も載せました。
*注:リンクフリーですが、画像だけへの直リンクはご遠慮下さい。

本を出版しました!  楽天市場   東京の「痕跡」解説

  

中央線(甲武鉄道・鉄道省)

中央線は、新宿(1889)−立川の開業から始まります。都心側の起点は少しずつ部分開業し東京に至ります。

牛込(1894)、飯田町(1895)、お茶の水(1904)、昌平橋(1908)、萬世橋(1912)、東京(1919)と少しずつ変わりました。
東京−神田間には東京駅が完成するまで呉服橋仮駅がありました。

昭和18年廃止時のままに残る万世橋(萬世橋)駅遺構

中央線の下には今も戦前の駅施設が眠り続ける。
画像はホームへ上がる通路の橋で、下の交通博物館1F特別展示室を跨ぐ形です。
右下の画像はその部分のホーム跡の俯瞰です。

2001年10月 交通博物館80周年記念公開時 ユウキ撮影

もっと見たい方は、萬世橋のページへ!(ページ廃止しました)

解体撤去された国鉄萬世橋駅駅舎 高架橋から庇と明かり取り窓が出ている部分がホームへの階段入り口部分

著書『東京の「痕跡」』(同文舘出版)のP.41に廃止時まで使われた国鉄萬世橋駅駅舎跡の写真を載せています。
萬世橋駅の駅舎は、初代赤煉瓦製駅舎震災消失後、その土台の上に2代目、そして、同じ土台に交通博物館本館が建てられました。
交通博物館建設中は、ガード下(現在のラジオガァデン位置)に仮駅舎が出来ました。
実は、交通博物館が開館した後も萬世橋駅は営業しており、搏物館本館内に駅務室?、本館と高架の間に通路と改札があり、それが廃止時まで使われた3代目駅舎でした。
交通博物館移転後も高架との間に残っていた駅舎ですが、2009年12月には解体撤去されて消えていました。


昌平橋跡

お茶の水−神田間には万世橋駅跡の他に昌平橋跡があります。
万世橋駅開業までの仮駅的存在でした。開通時から電化複線のはず。
交博の資料によるとホームは1面、券売所などはガード下1番の場所だったようで、そこから神田川側に突き出た階段がお茶の水側に伸びていました。

2006年02月14日 yuuki撮影

昌平橋跡の現況と本田宗一郎

中を見させてもらいました。1番は補強工事中。
2番は元瓶屋さんで現在工事用駐車場として利用。中に補強時の?[1959-12]プレート。
3番は板金塗装工場、ガードと川の間のスペースに二階建ての事務所スペース。
4番は飲食店百万両。

この日、ガード下を許可を得て撮影しましたが、特に駅の遺構らしき跡はなし。
このガード下テナントの方の話だと、戦時中焼夷弾がガードの目の前に落ちたそうです。

駅廃止後〜戦後の写真を見たがその時既に今みたいに神田川との間に建物が張り付いていました。
ただし、護岸が今より低く、アーチの上半分が見えています。

神田川にかかる昌平橋は都電の廃線跡です。
神田川にかかる昌平橋と萬世橋は過去に位置が逆になっています。

自動車メーカー、ホンダの創業者本田宗一郎と関係があるらしいです。
幻の東京赤煉瓦駅 (平凡社新書 337)中西隆紀=著 によると、
本田宗一郎が丁稚奉公した自動車修理工場アート商会は本郷区湯島にあったのですが、カーチス号の背景が此処だというのです。
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お茶の水

当初の御茶ノ水駅はお茶の水橋の西側の場所にホームがあり、お茶の水橋とは別に跨線橋と階段が存在しました。


飯田町駅跡

かつての甲武鉄道始発駅だった飯田町駅です。最後はJR貨物の駅。
1997年03月22日ダイヤ改正で廃止。

貨物駅が解体された2000年頃には開業時の煉瓦製のプラットホームも発掘されたそうですが当時の写真だと木製なはずだが?
飯田町駅は長距離列車用でした。貨物駅時代、EF15さよなら列車が入線しています。
現在のJR飯田橋駅は飯田町駅と牛込駅が合併して出来た電車線用の駅です。

1999年08月 yuuki撮影

飯田町の転車台

飯田町貨物駅には転車台があった

国土交通省のウェブマッピングシステムの空撮画像です。上が北で、中央本線が横切っています。
こんな所にって驚くでしょう。
ウェブマッピング
国土画像情報S49年(カラー空中写真)国土交通省を加工使用しています。


牛込駅跡

ここが牛込駅跡です。飯田橋駅の西側にありました。
明治27年、新宿から都心側に延伸した終着駅でした。
その後、昭和3年に飯田町駅と合併して飯田町駅が出来廃止されます。

'90年代まで跨線橋跡みたいのがありました。
木製の支柱とクロスした補強の構造物が立っていました。
写真に少しだけ見えるポイントは総武緩行線を夜間留置する中線です。現在は撤去されて空き地です。
牛込橋の下は堀が狭くなっており、その狭い水路の四ッ谷寄りにレンガ製の橋台があります。
夏は葉っぱが邪魔で見えにくいですが、斜めに橋台は一対あり、牛込駅駅舎へ行くための橋の跡だと思えます?

1989年08月31日 yuuki撮影

  

京成電鉄

ビュンビュン京成、ビュンビュン京成、走ーる進む、明日ーへ向かう、
街だ、海だ、緑だ、風だ、繋ぐ、伸びる、明日ーへ向かう、けいせえーけいせえーけいせえー、
ダイヤルダイヤルダイヤルダイヤル、回せば かかったかかったかかったかかった♪
もーしもし、どうしたどうした、もーしもし、どうしたどうした、何でもっ聞いちゃう!

博物館動物園駅

此処が噂の博動。切符売り場兼改札はこのような小屋でした。
地上の駅舎は今でもそのまま残っています。地下のホームは色々撤去されていますが残っています。

1997年02月24日 ユウキ撮影

もっと見たい方は、博物館動物園駅のページへ!


寛永寺坂駅跡

1992年撮影

現在でも倉庫会社が使ってるのかな?
ホームは地下にあり、上下線の渡り廊下天井が道路に盛り上がっています。

寛永寺坂駅跡

地下にはホームこそ撤去されたものの駅のスペースや壁は残されています。
しかも、日暮里寄りには階段もそのまま残っており上には「口出」の行灯も残っています!
凄いですね、戦前の書き方ですよ!

この画像を撮影した時は日暮里駅工事関係の?工事トラックがホーム跡に停めてありました。

2007年08月 ユウキ撮影


向島駅跡

京成曳舟駅−八広駅に残る初代上りホームの側壁跡
かつて向島駅から白鬚線が分岐していました。
その下りホームは右後方(荒川寄り)にありました。
そしてその空き地はRail Magazine 2006-11 に京成電鉄改軌工事の際に臨時台車着替え所になっていたそうです。
履き替えた車両は荒川開削前の旧線跡に押し込められたそうです。昭和34年

2002年8月撮影

  

帝都高速度交通営団

新橋駅跡「幻の新橋駅」

渋谷からの東京高速鉄道は、上野からの東京地下鉄道の新橋駅(銀座線新橋駅)への乗り入れに反対されて一旦ここに駅を作りました。
その後しばらくして東京地下鉄道の新橋駅に乗り入れ、東京高速鉄道の新橋駅は使われなくなり幻の駅となりました。
このホームは今も残っており、銀座線の留置線代わりに使われています。16m車6両編成は入りきらず半分程度がホームに入ります。
現在は何かのイベントに合わせてペンキを塗り替えて綺麗になっています。いかにも廃駅だった感じはなくなり幻って感じがなくなってしまいました。

場所は新橋駅西端(虎ノ門方)券売機の裏にあります。現在の銀座線ホームB2F(東京地下鉄道)より高い位置です。
終端部は券売機のある事務所横の通路を進んだ突き当たりのステンレス扉の位置です。ここがイベントとかの出入り口。
現在の銀座線浅草方面ホームは1980年代に作られたホームです。元々は島式1本。

向こうに本線を走り去る銀座線のテールランプが見えます。

1989年09月16日 公開時yuuki撮影

「幻の新橋駅」階段跡と駅銘板

地上への階段跡は機械のスペースになっています。
北側のホーム虎ノ門寄り端だったと思います。
ホーム上は後に事務所などが作られてしまっていて狭いです。

駅銘板は戦前に一時期存在した駅なので右から書かれています。
駅銘板が露出しているのも北側のホームだったと思います。隣の事務所の中の壁にもあるらしい。

1989年09月16日 公開時yuuki撮影。2枚の写真を1枚にしています。

階段跡は?

たしか15年前に地上の歩道から階段跡を確認したはずなのですが何処だったんだろう?
現在の銀座線の虎ノ門寄りから始まって、更に虎ノ門寄りの端っこ(3両用?)にあったはずなのでかなり西側にあるはず。そして道路北側。

近年、地下通路が新橋駅西端(虎ノ門方)に延長されました。
新しい地上へのB階段は2つの通気口の間にあります。2つの通気口は階段が無いようです。ハシゴみたい。
このB階段は幻の東京高速鉄道新橋駅の階段跡を再利用した階段なのでは?!

ただ、幻の新橋駅があるB1Fからではなく、ホテルへ続くB2Fから階段が延びています。
B1Fが券売機の階とすると銀座線ホームと同じB2Fに降りる形です。何故?
右(北側)へ豪華な通路が延びていて第一ホテル東京に繋がっています。
この通路は太さが途中で変わり、島式ホーム跡を通路にしたような感じです。何故?

2006年09月10日 yuuki撮影


萬世橋駅跡

銀座線にもかつて仮の駅として万世橋駅がありました。
写真のように今でも駅跡が残っています。
当時のホームは仮設の木製で今の浅草行き線路路盤上にありました。列車は今の渋谷行き線路位置での折り返しでした。
地下駅への階段は石丸電気1号館前にあります。昭和の頃までは蓋の目が粗かったので階段がよく見えましたが今は塞がれて見えにくいです。

神田から末広町へ向かう電車から万世橋駅跡位置を説明します。
神田駅を出発し、右カーブを過ぎるとアーチ型のトンネルになります。
ここが神田川の下です。そして、左にカーブします。
A線B線の間の壁が無く、天井の高い空間に出ます。ここが万世橋駅跡です。
浅草行き線路脇に柱が並び奥に空間があります。

2006年 ユウキ撮影

萬世橋駅の話

東京地下鉄道萬世橋駅は昭和五年(1930年)から2年弱だけ使われた仮の駅でした。
上野駅から神田駅に延伸する際、真上に架ける道路の萬世橋(昭和五年三月完成)の工事と同時だったせいか神田川部分の工事が遅れ、神田川手前に仮駅を設置しました。
万世橋駅の出入り口は秋葉原にあります。秋葉原貨物駅は明治二三年だが、省線電車旅客線は大正十四年開通、両国−お茶の水開業は昭和七年です。
鉄道院萬世橋駅は明治四五年開業、東京延伸は大正八年。
当時は須田町(交通博物館前が旧道の交差点)が市電の集中する場所でしたし、既に省線が今の形になった後だったのでターミナルな場所でした。
仮駅ながらもそのような立地だったので乗降客は多かったようです。(省線万世橋駅は昭和十八年休止)


青山六丁目駅跡(表参道旧駅)跡

銀座線表参道駅ホームは千代田線の開通で外苑前駅側に移動しました。
しかし、今でも渋谷寄りに旧ホームが続いています。
開業時は「青山六丁目」、その後「神宮前」、そして「表参道」と変わりました。

浅草行き5番ホームから渋谷行き4番ホームを撮影。
4番から5番は何故か柱が邪魔で写しにくいが見えます。

2006年04月15日 yuuki撮影

  

ナゾチカ

帝都東京・隠された地下網の秘密

洋泉社 「帝都東京・隠された地下網の秘密」 秋庭 俊 著 2002年12月刊
これ面白いですよ〜トンデモ本No.1ですね。意図的に地下が隠されていると言うのが新鮮。
2002年12月発行なのだが、ノンフィクション風の知られざる地下開発? を扱った初の? 本かもしれず衝撃的でした。
まあ、萬世橋仮駅が現在線と別の場所にあるってのは、妄想ですけどね。

幻の駅へ行く地下鉄マンガ「妖鬼妃伝」

ガラスの仮面で有名な 「美内 すずえ」 の1981年作品に「妖鬼妃伝」と言うのがあります。
もう20年以上前に読んだきりなので違うかもしれませんがこのような内容です。
ある地下には雛人形の世界があり、その世界を知ってしまった友人は地下鉄に飛び込まされて殺されてしまうホラー作品です。
で、その世界へは地下鉄で行くのですが、普段閉じているトンネルの壁が開いて走って行くのです。

地上の地下鉄へ

  

その他、廃駅・旧駅

東京モノレール・羽田駅

旧空港時代末期の撮影です。

1993年9月yuuki撮影

廃駅後、土で埋めてしまったそうです。

旧羽田空港も見たい方は、飛行機のページへ!


京王帝都電鉄・初台駅跡

京王新線が開通したため、それまでの京王線の初台駅は廃止になりました。
今も地下区間にホームが残っています。
京王デパート?かなにかの工事の後ホーム跡は短くなりました。

2003年09月15日 yuuki撮影


日本国有鉄道・汐留駅

1986年 yuuki撮影

初代新橋駅プラットホーム

現在復元された駅舎などは当時の土台を使わずに、少し上に再現されました。

1995年 yuuki撮影

もっと見たい方は、汐留のページへ!


ゆりかもめ・新橋仮駅

ゆりかもめは当初仮駅で開業。
後に現在のJR新橋駅近くまで延伸します。

画像中央の壁と木のある場所は0哩表示のある区画。

1995年11月13日 ユウキ撮影


東武鉄道・隅田公園駅跡

右上のホームから左下の駅舎?へ続く階段の跡が壁に残っていました。
現在、この部分は撤去されてしまいました。駅舎部分?にはクラシカルな窓が残っています。

1999年08月08日 yuuki撮影

もっと見たい方は、隅田公園駅跡のページへ!


東武鉄道・業平橋駅地平ホーム

今は無き3番〜5番線の地平ホームです。ここに第二東京タワー(すみだタワー)が出来ます。
かつてのターミナル駅「吾妻橋」(1902-04年)であり東武の本社があります。
一度、亀戸線が本線になり総武鉄道両国橋駅への乗り入れ運転がされると廃止になります。
貨物駅から「浅草」駅として復活するも現在の浅草駅が開業し中間駅になります。
1990年頃、6両しか入れない浅草駅に対し、10両編成を朝夕発着させるために貨物駅跡に地平ホームを作ります。
半蔵門線が押上経由で曳舟へ開業し直通運転、2003年03月18日をもって地平ホーム廃止になりました。押上駅への地下通路も閉鎖。
直前の15日、釣り掛けモーターの5050系によるフルノッチイベント列車が地平ホームから出発しました。
http://www.tobu.co.jp/history/history03.html

2003年03月15日 ユウキ撮影


東武鉄道・旧亀戸水神駅跡

東武亀戸線は総武鉄道両国駅乗り入れの本線になっていたので複線です。
戦時中の空襲で沿線駅舎に被害が出て戦後駅が統廃合されます。
今でも数駅の廃駅跡と旧駅跡が確認出来ます。
亀戸水神駅は北十間駅と統合され移動します。
旧駅は亀戸寄りにあり、直近の踏切には亀戸から続く商店街があり、こちらの方が私鉄の駅前らしい雰囲気です。

2006年06月10日 ユウキ撮影


国鉄・武蔵岩井駅跡

多摩の山奥ですがここも東京。
五日市線から分岐していました。
分岐地点の廃線跡が現在の五日市線に転用されています。
1992年、敷地の工場で許可を得て撮影。
この日はスズキ初代セルボで廃線巡りしました。


城東電気・錦糸堀

かつて城東電気は白木屋デパートの1Fに駅があったという。
写真は元白木屋デパートの建物。今は立て替えられています。
JR錦糸町駅南口です。
都電の錦糸堀車庫は現在の丸井の場所でした。
都電の電停は南口だけではなく、客車区の引き込み線に分断されて北口四ッ目通りにもありました。

もっと見たい方は、城東電気のページへ!


東急・並木橋駅跡

渋谷駅−代官山駅間にあります。

ホーム跡の川側の橋脚には出っ張りがあります。
架線中以外のでです。

2004年夏 ユウキ撮影

並木橋ホーム跡

少し高くなっているところがホーム跡らしい。
地下鉄13号線が渋谷三丁目歩道橋付近まで明治通り下を通りこのあたりで東急線の下付近に出るみたいです。
その為か高架下の建物は全て無くなりました。
こちら側のホーム下は出っ張りを切り落とした跡が残ります。

2006年04月23日 ユウキ撮影

  

あまり使っていないホームなど

原宿宮廷ホーム

JR山手線原宿駅の代々木方に離れてあります。
お召し列車専用ホームで普段は使われていません。

原宿駅は明治神宮側にもホームがあり、初詣客用に使われます。
昔、硬券きっぷを買った記憶が。

ユウキ撮影

オリンピックホーム

総武線千駄ヶ谷駅には東京オリンピックの時に使われた臨時ホームが残っています。
信濃町駅にも同じようにあったのですが駅ビル工事で消えました。

近辺には臨時線が開業廃止を繰り返しました。
明治天皇葬儀の際には青山仮停車場が作られました。新宿から青山までは軍用線を使ったのでしょうか??
大正天皇葬儀の際には新宿御苑仮停車場が作られました。
新宿御苑仮停車場駅舎は高尾(旧浅川)駅に移築されて今も現存しています。
終点だった東浅川駅は近年まで現存していましたが放火によって焼失、コンクリート床が一部残るのみ。
大喪列車で使用された霊柩車は大井町の保管庫に保管されてるようです。

2006年09月03日 ユウキ撮影

両国駅臨時ホーム

かつての長距離列車用ホームは夕刊輸送&臨時列車用ホームになっています。
総武快速線開通前は新小岩から推進運転でSL列車が入っていたような?
夏の海水用区シーズンの臨時列車は凄い人気だったそうです。
その後は153/165系急行&夕刊輸送クモユニ用に。
近年は非貫通クハ183-1500番代水郷程度になっていました。
今ではホームにあった立ち食いそばの建物もなくなりました。

  

貨物駅

旅客駅だった歴史が無いと面白みがありませんがおまけです。

小名木川貨物駅

今は本線しか残っていません。越中島線のコンテナ駅でした。
途中には煉瓦の橋台のトラス橋などがあります。

2000年01月30日 yuuki撮影

都営大江戸線が停車中

北側に流れる小名木川側から撮影。
正門は明治通り側で信号の名前にもなっています。

搬入のため甲種回送されてきた都営地下鉄大江戸線の車両が停まっています。

2000年01月30日 yuuki撮影


越中島貨物駅臨時ホーム

京葉線の越中島駅とは違います。越中島貨物線というのが新小岩から出ています。
今も駅はあるので廃駅じゃないんだけど、かつてこのようなホームがっ!?
そしてSL列車がっ

1988年08月撮影。P:yuuki


芝浦駅

これが駅舎全景です。
日の出ふ頭の南、海岸2丁目にありました。現在のノーリツ綱機(西本興産日の出ビル)付近。
もっと見たい方は、東京ベイサイドのページへ!

昭和60年09月08日撮影。P:yuuki


新宿貨物駅

現在の高島屋タイムズスクエアの場所です。
中央線115系にくっつく荷物電車がここに来ていました。

1985年 yuuki許可得て撮影


秋葉原貨物駅

現在この場所の地下につくばエクスプレスがあります。
ヨドバシカメラの所は船溜まりの跡でかつては鉄道と船の荷渡しの場でした。
この画像の道路の所は都電の廃線跡です。
画像右側の店はロケット本店です(2006年頃閉店)。

1994年09月06日 ユウキ撮影

  

神奈川県や千葉県も〜
ついでに旧駅(高架化前や地下化前)も

  神奈川県の平沼駅跡へ

  千葉県の旧大網駅跡へ

  日本一恐怖の地下ホームだったへ

  付け替え  ← 高架化や地下化もある意味旧線の跡ですよね。

  未成線  ← 開業することなく廃止になったのをこう呼ぶ。

撮影してないけど

西武池袋線、池袋の次に「上がり屋敷(あがりやしき)」という駅があった。その場所は線路脇が少し広い場所らしい。

  

幻の駅が計画されています!

仮営業でホームが造られる事が決まっている駅が判明しました。
今年(平成16年)3月事業着手された小田急線(代々木上原−梅ヶ丘)の世田谷代田駅です!
地平駅を地下化する際、上下二層式の深い方の急行線を先に開通させるので、 世田谷代田駅は急行線トンネルのホームで地下化します。
その後緩行線の開通と共に急行線のホームは廃止されます。
幻の駅(ホーム)誕生です!

本を出版しました!  楽天市場   東京の「痕跡」解説

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