このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
①深名線・幌内線・広尾線・士幌線 1986年7月〜8月
【深名線】 1995年9月廃止 函館本線の深川から、朱鞠内〔シュマリナイ〕を経て、宗谷本線の名寄に至る121.8㎞の大赤字路線。 赤字ランキングの王者ながらも、代替輸送道路が無いことから、他の路線よりも随分延命しました。 この辺りの母子里〔モシリ〕という地には、-44.8℃という日本最低気温の記録(非公式)があります。
写真は朱鞠内駅 ここで分断されたダイヤは双方に3往復しかなく、乗り潰し泣かせでした。
【幌内線】 1987年7月廃止 函館本線の岩見沢から幾春別〔イクシュンベツ〕に至る18.1㎞の炭鉱支線。 道内で最も古い路線の一部で、炭鉱の衰退に伴って輸送量が減少し、廃止に至りました。
【広尾線】 1987年2月廃止 根室本線の帯広から、十勝平野を南下して広尾に至る84.0㎞の支線。 襟裳〔エリモ〕岬を経由して、日高本線と接続する計画は実現しませんでした。 70年代には「愛国から幸福ゆき」の切符が大ブームとなりました。
写真は広尾駅 日高本線の様似〔サマニ〕から国鉄バスで訪れました。
幸福駅と愛国駅では、僅かな停車時間に駆け出して写真を撮りました。
【士幌線】 1987年3月廃止 根室本線の帯広から、十勝平野を北上して十勝三股に至る78.3㎞の支線。 1978年、赤字額の大きい糠平〔ヌカビラ〕以北をバス輸送に転換しましたが、全線廃止となりました。
写真は士幌駅 停車時間が長い時はこうして外に出ていました。
「 糠平 - 十勝三股間 国鉄代行バス 」 と書かれたサボ 士幌線の魅力はこの区間でした。
延長計画の存在から、「廃止」ではなく「部分運休」とされ、放置された糠平 - 十勝三股間。 終点の十勝三股の姿は、自動車にバトンを渡し終えた鉄道の安らかな姿でした。
生い茂る雑草の奥には、蒸気機関車時代の転車台も残っていました。
糠平 - 十勝三股間の歴史については「 幻のタウシュベツ橋梁を求めて 」のページをご覧下さい。
記 この旅で、北海道の国鉄を全線乗り潰しました。 上野駅の13番線から、青森行きの夜行急行「八甲田」に乗り、青森で青函連絡船に乗り換えて、 津軽海峡の先に北海道の大地が見えてきた時のあの高揚感、今でも忘れられません。 羽幌線(1987年3月廃止)に関しては、溜まった旅の疲れが出てしまい、爆睡して乗り通してしまいました。 そのため写真も無ければ記憶もおぼろげなのが、残念でなりません。
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