真岡線・足尾線
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

 

 

真岡線・足尾線

1987年7月

 


 

【真岡線】 1988年4月第三セクター「真岡鉄道」として存続

水戸線の下館から、茂木に至る42.0㎞の支線。

沿線風景の印象は薄かったですが、鉄道のローカル色は濃かったです。

 

  

下館駅 (左)1番線の真岡線0㎞ポスト (右)電化された水戸線の脇で待機する真岡線気動車

真岡線と反対側には、関東鉄道のいい味出した気動車が停まっていました。

 

  

真岡駅 腕木式信号機や給水塔などがあり、(写真は割愛しますが)跨線橋なども古びていて、

構内はまるで映画のセットのように、蒸気機関車時代そのままでした。

迷彩色の車庫が異様ですが、これは戦時中に御料車を保管したからだそうです。

 

 茂木駅 「乗って残そう真岡線」の大きな看板がありました。

 


 

【足尾線】 1989年3月第三セクター「わたらせ渓谷鉄道」として存続

両毛線の桐生から、間藤に至る44.1㎞の支線。

足尾鉱毒事件で有名になった足尾銅山から、鉱石を輸送するために敷設された路線でした。

渡良瀬川の景色が素晴らしく、どの駅も素朴で風情があり、とても魅力的なローカル線でした。

 

  

桐生駅 ここだけは何の風情もない高架駅でした。

 

  

神土駅 列車交換のある駅で、乗降客も多かったです。

ここから急勾配になるため、昔は蒸気機関車をここで重連させたそうです。

 

  

沢入〔ソオリ〕駅 神土駅同様に列車交換のある駅

ここからは急勾配だけでなく、急カーブも連続して渡良瀬川と共演してくれました。

渡良瀬川の上流は、真っ白な巨石で埋め尽くされた独特な景観でした。

 

  

ロッジ風の外観が印象的な通洞駅 今でも足尾銅山観光の拠点にもなっている駅です。

 

  

足尾駅 通洞駅の方が足尾町の中心に近いため、ここは静かな駅でした。

  

構内には側線がたくさんあり、鉱石輸送が盛んだった頃の面影が残っていました。

 

終点の間藤駅 露出した岩肌に銅山の雰囲気を感じました。

  

かつてはスイッチバック施設があり、その頃のホームと駅名表が残っていました。

開業当初から旅客営業はここまででしたが、その先にも貨物専用線が1.9㎞伸びていました。

しかしこの年に貨物輸送は終了し、貨物専用線は休線となりました。

 


 

第三セクター方式で存続した両線ですが、当然ながらその姿は変わりつつあります。

映画のセットのようだった真岡駅の昭和の風景は、残念ながらもうありません。

間藤駅は5年後の1992年に再訪すると、綺麗なプレハブの駅舎に変わっていました。

幸い列車は走り続けていますが、好きな風景が消えてゆくのは寂しいものです。

 


 

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