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真岡線・足尾線 1987年7月
【真岡線】 1988年4月第三セクター「真岡鉄道」として存続 水戸線の下館から、茂木に至る42.0㎞の支線。 沿線風景の印象は薄かったですが、鉄道のローカル色は濃かったです。
下館駅 (左)1番線の真岡線0㎞ポスト (右)電化された水戸線の脇で待機する真岡線気動車 真岡線と反対側には、関東鉄道のいい味出した気動車が停まっていました。
真岡駅 腕木式信号機や給水塔などがあり、(写真は割愛しますが)跨線橋なども古びていて、 構内はまるで映画のセットのように、蒸気機関車時代そのままでした。 迷彩色の車庫が異様ですが、これは戦時中に御料車を保管したからだそうです。
茂木駅 「乗って残そう真岡線」の大きな看板がありました。
【足尾線】 1989年3月第三セクター「わたらせ渓谷鉄道」として存続 両毛線の桐生から、間藤に至る44.1㎞の支線。 足尾鉱毒事件で有名になった足尾銅山から、鉱石を輸送するために敷設された路線でした。 渡良瀬川の景色が素晴らしく、どの駅も素朴で風情があり、とても魅力的なローカル線でした。
桐生駅 ここだけは何の風情もない高架駅でした。
神土駅 列車交換のある駅で、乗降客も多かったです。 ここから急勾配になるため、昔は蒸気機関車をここで重連させたそうです。
沢入〔ソオリ〕駅 神土駅同様に列車交換のある駅 ここからは急勾配だけでなく、急カーブも連続して渡良瀬川と共演してくれました。 渡良瀬川の上流は、真っ白な巨石で埋め尽くされた独特な景観でした。
ロッジ風の外観が印象的な通洞駅 今でも足尾銅山観光の拠点にもなっている駅です。
足尾駅 通洞駅の方が足尾町の中心に近いため、ここは静かな駅でした。
構内には側線がたくさんあり、鉱石輸送が盛んだった頃の面影が残っていました。
終点の間藤駅 露出した岩肌に銅山の雰囲気を感じました。
かつてはスイッチバック施設があり、その頃のホームと駅名表が残っていました。 開業当初から旅客営業はここまででしたが、その先にも貨物専用線が1.9㎞伸びていました。 しかしこの年に貨物輸送は終了し、貨物専用線は休線となりました。
記 第三セクター方式で存続した両線ですが、当然ながらその姿は変わりつつあります。 映画のセットのようだった真岡駅の昭和の風景は、残念ながらもうありません。 間藤駅は5年後の1992年に再訪すると、綺麗なプレハブの駅舎に変わっていました。 幸い列車は走り続けていますが、好きな風景が消えてゆくのは寂しいものです。
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