このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
宇高航路Ⅲ 船内・直島 1988年3月〜4月
【 3月30日 宇野→高松 伊予丸 】
伊予丸の鐘 1966は就航年、日本国有鉄道と書かれています。
宇野港 出港する伊予丸のデッキから
「 無料 さようなら宇高連絡船乗船記念 パット・ゴルフ 」 すいませんが邪魔でした。 奥には名物の讃岐うどんスタンド、長蛇の列ができています。
この頃は航海中、ブリッジに入ることができました。
円錐形の大槌島〔オオヅチジマ〕は印象に残る島影です。
船内はご覧のように超満員でした。
【 3月30日 高松→宇野 阿波丸 】
夜は、お落ち着きを取り戻す連絡船でした。
行列だった讃岐うどんもガラガラ、残っているのは250円の「かけうどん」だけでした。
遠ざかる高松港の明かり
【 4月2日 高松→宇野 土佐丸 】
デッキから見下ろす急行便の「しおかぜ」
高松港の沖で伊予丸とすれ違います。
席という席はどこも人でいっぱいです。
船内は売店も充実していました。
岡山県寄りでは、直島・荒神島・葛島の間の狭い海峡を通りました。
あちこちに高松の文字 連絡船の管轄はJR四国でした。
カメラバッグを持ち歩く人 自分もこんなバッグを持っていました。
1時間の船旅ですが、ほとんどの時間、船内を徘徊してこんな写真を撮りまくっていました。
案内所は記念切符などの販売で大忙し、右のお土産売場もこの時期だからの特設でしょう。 宇野港も近づいてきた頃、空いてきたデッキで記念写真を撮ってもらいました。
【 乗船日不明 高松→宇野 伊予丸 】
讃岐丸は、宇高連絡船の中では一番新しかったので、JR四国の観光船として再出発することになっていました。 この頃はもう改造されていて、定期運用から外れて、ずっとここに停泊していました。
高松港の沖で阿波丸とすれ違います。 笑顔で会話をしている船員さん、ブリッジは和やかな雰囲気でした。
すれ違う土佐丸、遠くにはもうすぐ開通する瀬戸大橋が見えます。
下でも船員さんの、くつろいでいる姿がありました。
青函連絡船のように、冬の厳しい雰囲気などなく、ほのぼのした宇高連絡船でした。
【 直島 】 宇野から四国汽船のフェリーで直島に渡って、直島から撮影しました。
伊予丸のように思いますが、はっきり分かりません。 瀬戸大橋と宇高連絡船
向こうの島は荒神島、阿波丸が直島との間の狭い海峡に入っていきます。
記 宇高航路は、青春18きっぷを使って何往復もしました。 青函航路の場合、写真を時系列に並べることができたのですが、 宇高航路の場合は、いくら写真を見ても自分の足取りを時系列で辿ることができず、 結局は場所別にページを作りました。 滞在したのは3月30日〜4月2日、途中3月31日は中村線に乗りに行きました。
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