宇高航路
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

 

 

宇高航路

1988年4月

 

4月9日(土)、宇高連絡船の最終便に乗船するため、学校の午前授業が終わってから旅に出ました。

4月10日(日)は、開通初日の本四備讃線を通って帰路につきました。

 


 

岡山駅 開業する本四備讃線は、開業当初から瀬戸大橋線の通称が使われていました。

 


 

  

宇野駅 定期便としての最終便、宇野発23時25分の阿波丸に乗船しました。

この後に、乗りきれない乗客のために讃岐丸が臨時で運行されましたが、私は定期便にこだわりました。

蛍の光だったと思いますが、ブラスバンドの生演奏が流れる盛大な出航でした。

  

連絡船の最後の船出を見送りに、地元の人達もたくさん来ていました。

  

臨時便の讃岐丸 既に乗り込んだ人達が、デッキに出て阿波丸を見送っています。

  

手を振る人、大きな声を出す人、みんな連絡船の最後の船出を心に刻んでいました。

ブラスバンドの演奏も聞こえなくなり、落ち着きを取り戻したデッキの風景。

  

船内に入ると、南川太鼓ショーが行われていました。

  

再びデッキの風景 人、人、人です。テレビ局も来ていました。

  

ラジカセを持ってきて音を録っている人もいました。狭い階段は常に渋滞です。

再び船内の風景 スタンプなんかもありました。

  

南川太鼓ショーが終わって、郷土民謡・歌謡ショーが行われていました。

  

高松港到着 宇野港と同様にブラスバンドの生演奏がお出迎えしてくれました。

  

立ち止まる人、逆行する人でごった返す桟橋。

  

下で集まっているのは連絡船の関係者や身内の人達でしょうか?

  

船長さん インタビュ−を受けています。

  

凛々しくて男前です。選ばれたのでしょうか?

  

その後、臨時便の讃岐丸も到着しました。

  

構内の立ち食い讃岐うどんは夜中まで大盛況でした。

そして、瀬戸大橋線開通の祝賀準備万端の高松駅でした。

 


 

朝までする事がないので、防波堤まで足を伸ばして真夜中に写真を撮りました。

月と高松城と讃岐丸

讃岐丸と阿波丸

  

 


 

  

瀬戸大橋を渡る1番列車です。乗ってみようかと思ったのですが、

TV局のスタッフが乗車していて、インタビューなどされたくないので乗りませんでした。

  

 宇野までだった寝台特急の「瀬戸」が高松まで来ました。

  

瀬戸大橋開通と同時に新しい車両もお目見えしました。

 


 

定年退職した連絡船達は、休む間もなく翌日からイベント運行です。

第一走者は讃岐丸

    

    

    

 


 

第二走者は阿波丸

    

    

    

 


 

第三走者は土佐丸

    

    

    

 

伊予丸は宇野からだったのでしょうか? これで連絡船は見収めになりました。

 


 

北では青函トンネル、南では瀬戸大橋が開通して、鉄道連絡船は姿を消してしまいました。

北海道に渡るにも、四国に渡るにも、海を渡る必要がなくなってしまいました。

便利になりましたが、船が演出する旅情も消えてしまって、寂しい限りです。

青函トンネルを通っても、瀬戸大橋を渡っても、連絡船の事ばかり思い出してしまいます。

 


 

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