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宇高航路 1988年4月
4月9日(土)、宇高連絡船の最終便に乗船するため、学校の午前授業が終わってから旅に出ました。 4月10日(日)は、開通初日の本四備讃線を通って帰路につきました。
岡山駅 開業する本四備讃線は、開業当初から瀬戸大橋線の通称が使われていました。
宇野駅 定期便としての最終便、宇野発23時25分の阿波丸に乗船しました。 この後に、乗りきれない乗客のために讃岐丸が臨時で運行されましたが、私は定期便にこだわりました。 蛍の光だったと思いますが、ブラスバンドの生演奏が流れる盛大な出航でした。
連絡船の最後の船出を見送りに、地元の人達もたくさん来ていました。
臨時便の讃岐丸 既に乗り込んだ人達が、デッキに出て阿波丸を見送っています。
手を振る人、大きな声を出す人、みんな連絡船の最後の船出を心に刻んでいました。 ブラスバンドの演奏も聞こえなくなり、落ち着きを取り戻したデッキの風景。
船内に入ると、南川太鼓ショーが行われていました。
再びデッキの風景 人、人、人です。テレビ局も来ていました。
ラジカセを持ってきて音を録っている人もいました。狭い階段は常に渋滞です。 再び船内の風景 スタンプなんかもありました。
南川太鼓ショーが終わって、郷土民謡・歌謡ショーが行われていました。
高松港到着 宇野港と同様にブラスバンドの生演奏がお出迎えしてくれました。
立ち止まる人、逆行する人でごった返す桟橋。
下で集まっているのは連絡船の関係者や身内の人達でしょうか?
船長さん インタビュ−を受けています。
凛々しくて男前です。選ばれたのでしょうか?
その後、臨時便の讃岐丸も到着しました。
構内の立ち食い讃岐うどんは夜中まで大盛況でした。 そして、瀬戸大橋線開通の祝賀準備万端の高松駅でした。
朝までする事がないので、防波堤まで足を伸ばして真夜中に写真を撮りました。 月と高松城と讃岐丸 讃岐丸と阿波丸
瀬戸大橋を渡る1番列車です。乗ってみようかと思ったのですが、 TV局のスタッフが乗車していて、インタビューなどされたくないので乗りませんでした。
宇野までだった寝台特急の「瀬戸」が高松まで来ました。
瀬戸大橋開通と同時に新しい車両もお目見えしました。
定年退職した連絡船達は、休む間もなく翌日からイベント運行です。 第一走者は讃岐丸
第二走者は阿波丸
第三走者は土佐丸
伊予丸は宇野からだったのでしょうか? これで連絡船は見収めになりました。
記 北では青函トンネル、南では瀬戸大橋が開通して、鉄道連絡船は姿を消してしまいました。 北海道に渡るにも、四国に渡るにも、海を渡る必要がなくなってしまいました。 便利になりましたが、船が演出する旅情も消えてしまって、寂しい限りです。 青函トンネルを通っても、瀬戸大橋を渡っても、連絡船の事ばかり思い出してしまいます。
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