このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

  

 

 

幻のタウシュベツ橋梁を求めて 

2009年4月

 

 

 

タウシュベツ橋梁〔キョウリョウ〕は、上士幌町の糠平〔ヌカビラ〕湖という人造ダム湖に沈む国鉄の廃線遺跡です。夏には水没して姿を隠してしまい、冬には水位が下がって姿を現すのですが、そこに至る林道が閉鎖されるために容易には近づけず、「幻の橋」と呼ばれています。

 

この橋梁周辺の国鉄士幌線(糠平〜十勝三股間18.6㎞)は、特異な歴史を刻んだ事で、廃線前から多くの鉄道ファンを魅了していました。

終点の十勝三股の人口は、全盛期には1,500人を擁したものの、林業の衰退と伴に14人にまで減少、糠平〜十勝三股間の1日平均乗客数は6人となり、国鉄は1978年(昭和53年)この区間をバス輸送に切り替えました。

ちなみに営業係数(100円の収入のために要する費用)は士幌線全線では1,497円、糠平〜十勝三股間では22,500円だったそうです。

 

しかしその時点で、士幌線の延長計画(三国峠を越えて上川に達するという壮大な計画)は依然存在したままだったので、糠平〜十勝三股間は「廃止」ではなく「部分運休」という全国的にも珍しい措置が取られたのです。廃止ではないので施設は撤去されず、かと言って無期限運休のため保守点検もされず、駅も線路も放置状態となったのです。

そして1980年(昭和55年)の国鉄再建法では士幌線全線が廃止対象路線に指定され、ついに1987年(昭和62年)には士幌線は全線廃止となってしまいました。

 

 

≪ 国鉄監修 交通公社の時刻表 1986年7月号 ≫

 

 

 1986年(昭和61年)、つまり廃止の前年に私はここに来ました。高校1年生の夏休みでした。

 全国の赤字ローカル線が次々と廃止になってゆく当時、私はそれら消え行くローカル線に1つでも多く乗っておきたい思いでした。 

北海道で今年度中にも7線区が廃止になるという報道を聞いてからは、何が何でも行きたくてお小遣いを貯め、売れる物は売り、それでも足らなくて親に懇願して費用を援助してもらい、初めて北海道の地に足を踏み入れました。

 

帯広から赤い気動車に乗って終点の糠平に着くと、多くの鉄道ファンと共に、駅前に停まっている国鉄代行のマイクロバスに乗り換え、バスが通路まで人で一杯になったのを覚えています。そして皆が運休中の鉄道施設を見ようと車窓に目を凝らしても、放置されて草木に埋もれた鉄道施設は容易に姿を現さず、バス内に声が沸きあがったのは途中1回か2回でした。

 

終点の十勝三股駅は廃墟を通り越していました。駅舎は入口も窓も板で閉ざされ廃屋と化し、その周辺には人の背丈ほどある雑草が生い茂って駅であることが分からないほどです。

掻き分けて進むと線路やホームが残っていました。それはもう自然に返っていると言う感じで、役目を終えた鉄道の安らかな姿でした。

 

 

≪ 十勝三股駅 1986年8月3日 ≫  

 

 

少し話がそれました。この糠平〜十勝三股間は、廃止になる32年前にルート変更が行われているのです。つまり、部分運休をした廃線遺跡とは別に、もう1つ廃線遺跡が存在するのです。

 

1955年(昭和30年)糠平湖を建設するにあたり、糠平湖を迂回する新線が敷設され、それまでの路線はダムに沈んだのでした。お待たせしました。その旧線にあった橋梁の1つがタウシュベツ橋梁なのです。

 

 

 


 

 

 

今回の旅には、小学3年生になる息子を連れていきました。

糠平のホテルに泊まった私達は、バイキング形式の朝食を済ませ、前日から借りているレンタカーで林道の入口へ向かいました。

そして閉鎖されているゲートの前に車を停め、まだ足元の凍る道を、タウシュベツ橋梁目指して歩いたのでした。

 

  

 

                                通行止めのゲート前で                          林道と交差する旧線跡

 

 

歩き始めてすぐに、林道は旧線跡と交差します。

林道の前半2kmは、山肌を縫うように坂とカーブが連続します。

熊の出没を警戒し、私達は歌を歌ったり、他愛も無い会話をして歩きました。

 

遠くで草木のさざめきが聞こえて目を向けると、野性の鹿が群れを成して走り去っていきます。

最初に鹿と遭遇した時は興奮しましたが、この辺りは鹿だらけのようで、その後も何度となく鹿に会いました。

 

そして林道の後半2kmは、タウシュベツ橋梁に至る一直線の旧線跡です。

人里離れた山中は静寂で、私達の声と足音しか聞こえない世界でした。

 

  

 

                     林道となっている旧線跡                遠くを鹿が横切っています。見えますか?

 

 

「タウシュベツ川橋梁入口」と書かれた案内板の手前で、林道は左に90度向きを変えて進みます。

そしてタウシュベツ橋梁は前方およそ100m、この林道として整備されていない最後の100mが過酷を極めました。

季節的に積雪の底が融け始めていて、表層が貫けて足がハマるのです。息子は足の付け根まで埋まって動けなくなるし、私は積雪の下に隠れていた倒木で脛〔スネ〕を負傷し、骨折したかと思うほどの痛みを受けました。

細心の注意を払って、慎重に足を踏み出してもハマってしまう始末で、精神的にも参りました。気持ちの良いハイキングの最後に、まさかの展開でした。

 

 

 

 


 

 

 

  

 

これがタウシュベツ橋梁です。

前日から飛行機と車と徒歩で丸一日以上かかって、ついに辿り着きました。

 

 

 

士幌線が越えられなかった三国峠方面を望む

 

 

 

廃線から50年以上経ち、さすがに損傷が目立ちますが、まだ美しいアーチは健在です。

 

 

 

 

橋上は勿論、氷上も歩行不可能でした。対岸からも眺めてみたかったです。

 

 

 

まるでローマの水道橋のようです。

左奥のV字崩壊は2003年(平成15年)の地震によるもの

 

 

 

この旅最高の一枚! 全長は130m、11連アーチの全景です。

 

 

 

遺跡の横でお菓子を食べる我が子。

この経験をいつまでも覚えていて欲しいです。

 

 

 

雪解け水のせせらぎに春を感じます。

 

 

この倒木も、橋と一緒に命絶えたのでしょうか?

 

 

1997年(平成9年)国鉄清算事業団により新旧士幌線30余りの橋梁群の解体計画が立案されるも、美しい廃線遺跡を残そうとする地元有志の活動が実り、橋梁群は上士幌町が買い取る形で保存されました。

またそれらは、その頃始まった「北の世界遺産構想」の対象となり、2001年(平成13年)第1回の 北海道遺産 に選定され、広く一般にも知られるようになるのでした。

但しタウシュベツ橋梁は、その立地の悪さから保存措置の対象外とされているため、いずれ崩壊する運命にあります。

 

私は、アーチが崩れる前のタウシュベツ橋梁が見たくて現地を訪れました。そしてその勇姿を、雲1つない最高のロケーションの下で胸に焼きつける事が出来たのは、本当に幸運でした。

行動を共にした息子が成人する頃には、もしかしたらアーチの1つか2つは崩れているかもしれません。でもそんなタウシュベツ橋梁を見ても、自然に朽ちてゆく姿であれば、私はまた感動すると思います。

 

息子と再び、ここに来る日を想うのでした。

 

帰りも魔の100mを乗り越え、4kmの林道を歩きました。

鹿とは何度も遭遇するも、この旅の途中、人とは誰とも会いませんでした。

 

 

 

 


 

 

 

 

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