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シルクロード歴史紀行Ⅳ 敦煌 敦煌 ( 陽関 → 西千仏洞 ) → 名古屋 2011年10月
敦煌の周辺には、さまざまな時代の城郭跡や関所跡が点在しています。 午後は空路で敦煌を離れるので、午前中だけ西に足を伸ばしました。 タクシーはホテルマンに頼んで、250元でチャーターしました。
【 陽関 】 陽関は漢の時代に造られた西域南道の関所ですが、当時のものは烽火台しか残っていません。 市内からは70㎞、でもご覧の通りの道なので、1時間もかかりませんでした。 陽関博物館 ガイドブックには60元と載っていましたが50元でした。
(左)漢の西域経営に活躍した張騫〔チョウケン〕の像 (右)遥かかなたに見えるのが漢の時代の烽火台
ここ陽関では、多くの詩が詠まれています。 西を指差すのは、「西のかた陽関を出れば故人無からん」と詠んだ唐の詩人王維の像。
関所だったのは漢から唐の時代、あの玄奘三蔵もインドからの帰国の際にここを通ったそうです。
誰も居ないので、セルフタイマーで1人撮りをしました。
西には荒涼としたタクラマカン砂漠が広がっていました。 交易を営む商人、仏教の経典を求める僧侶、外国を討伐する武将など、様々な人がここを通ったのでしょう。 シルクロードの関所に立って、そんな人々のドラマに、ロマンを感じるのでした。
【 西千仏洞 】 陽関から市内に向かって戻ること35㎞、河畔の断崖にわずか19窟の石窟群があります。 何もない荒野に見えますが、大地を削って流れる川があるのです。
チケット売場に行くと誰も居なくて、後から来た中国人と共に途方に暮れていたら、 大きな声で歌を歌いながら近づいていた人が、12時からだと教えてくれました。 どうやら1時間ごとに案内してくれるようで、時間をもてあましました。 12時になると、また大きな声で歌を歌いながら同じ人が来て、チケットを売ってくれました。30元 莫高窟と同様で中の撮影は禁止、巨大な仏像などはありませんでした。
【 敦煌空港 】 小さな小さな空港でした。 アナウンスが、中国語・英語に続いて日本語でもされたので驚きました。そんなに日本人が多いのでしょうか?
空港で昼食を取ろうと思っていたのですが、レストランなどなく、片隅にコーヒーショップがあるだけでした。 でもコーヒーショップにカップラーメンが置いてあったので、何とか腹ごしらえできました。 ソーセージと惣菜が付いて20元、食べ方が分からないので聞くと、どちらもラーメンに突っ込んでくれました。
搭乗したのは中国東方航空、フライトが2時間も遅れ、西安での夜のショッピングタイムがなくなってしまいました。
【 敦煌 → 名古屋 】 敦煌→西安 別にまずくはありませんが、大したことない機内食です。
城市酒店 鐘楼に近くてとても便利な場所にありますが、やはりそういうホテルは狭いです。27$
朝はブラブラと、城壁や鐘楼を見て回りました。 西安→北京 チキン これは美味しかったです。 北京→名古屋 ビーフ これも美味しかったです。
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