このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

  

 

  シルクロード歴史紀行Ⅳ 敦煌

敦煌 ( 陽関 → 西千仏洞 ) → 名古屋

2011年10月

 

敦煌の周辺には、さまざまな時代の城郭跡や関所跡が点在しています。

午後は空路で敦煌を離れるので、午前中だけ西に足を伸ばしました。

タクシーはホテルマンに頼んで、250元でチャーターしました。

 


 

【 陽関 】

陽関は漢の時代に造られた西域南道の関所ですが、当時のものは烽火台しか残っていません。

市内からは70㎞、でもご覧の通りの道なので、1時間もかかりませんでした。

陽関博物館 ガイドブックには60元と載っていましたが50元でした。

  

(左)漢の西域経営に活躍した張騫〔チョウケン〕の像 (右)遥かかなたに見えるのが漢の時代の烽火台

  

ここ陽関では、多くの詩が詠まれています。

西を指差すのは、「西のかた陽関を出れば故人無からん」と詠んだ唐の詩人王維の像。

  

関所だったのは漢から唐の時代、あの玄奘三蔵もインドからの帰国の際にここを通ったそうです。

  

誰も居ないので、セルフタイマーで1人撮りをしました。

  

西には荒涼としたタクラマカン砂漠が広がっていました。

交易を営む商人、仏教の経典を求める僧侶、外国を討伐する武将など、様々な人がここを通ったのでしょう。

シルクロードの関所に立って、そんな人々のドラマに、ロマンを感じるのでした。

 


 

【 西千仏洞 】

陽関から市内に向かって戻ること35㎞、河畔の断崖にわずか19窟の石窟群があります。

何もない荒野に見えますが、大地を削って流れる川があるのです。

  

チケット売場に行くと誰も居なくて、後から来た中国人と共に途方に暮れていたら、

大きな声で歌を歌いながら近づいていた人が、12時からだと教えてくれました。

どうやら1時間ごとに案内してくれるようで、時間をもてあましました。

12時になると、また大きな声で歌を歌いながら同じ人が来て、チケットを売ってくれました。30元

莫高窟と同様で中の撮影は禁止、巨大な仏像などはありませんでした。

 


 

【 敦煌空港 】

小さな小さな空港でした。

アナウンスが、中国語・英語に続いて日本語でもされたので驚きました。そんなに日本人が多いのでしょうか?

  

空港で昼食を取ろうと思っていたのですが、レストランなどなく、片隅にコーヒーショップがあるだけでした。

でもコーヒーショップにカップラーメンが置いてあったので、何とか腹ごしらえできました。

ソーセージと惣菜が付いて20元、食べ方が分からないので聞くと、どちらもラーメンに突っ込んでくれました。

  

搭乗したのは中国東方航空、フライトが2時間も遅れ、西安での夜のショッピングタイムがなくなってしまいました。

 


 

【 敦煌 → 名古屋 】

敦煌→西安 別にまずくはありませんが、大したことない機内食です。

  

城市酒店 鐘楼に近くてとても便利な場所にありますが、やはりそういうホテルは狭いです。27$

  

朝はブラブラと、城壁や鐘楼を見て回りました。

西安→北京 チキン これは美味しかったです。

北京→名古屋 ビーフ これも美味しかったです。 

  


 

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