このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

セノハチ

(1974年7月25日)

 山陽本線、瀬野ー八本松間は古くから急勾配の難所として補機が付けられてきました。蒸気時代の特急「かもめ」にもD52の後補機が付き、テンダー後面にも誇らしげに「かもめ」のマークが掲げれ注目をあつめました。
電化後はEF53とEF56を改造したEF59が活躍しました。走行解放という独特の運用方法も取られていました。
私は僅かに1度1日だけの訪問ですがこの頃は貨物列車は全列車2台補機、客車もEF58牽引の列車についてはEF59が1台補機付きで運転されていました。(EF65牽引客車は補機なし)
 現在ではEF65/60改造のEF67が補機運用に当たっていますが重連運用はなく、客車補機や走行解放もなくなったと聞いています。

【こぼれ話】
セノハチの走行解放という特殊な運行をトリックに利用した西村京太郎の推理小説「特急さくら殺人事件」をテレビドラマ化して放映されたことが何年か前にありました。詳細は控えますが…
山陽本線上り特急「さくら」は通常はEF65牽引でしたがこの日に限って故障し急遽EF58に変更、その結果セノハチにはEF59の後補機付きで運行されました。犯人は走行解放されるEF59のデッキに乗り移ることをトリックに利用するというものでした。
しかしこれは絶対におかしい!EF59のデッキに乗り移るとすればすぐ目の前の機関士に必ず見られてしまうはず。この設定は成り立たないと一人憤慨したものですが…

「EF59 六重連回送!」
定期運用かどうかは不明ですが何と六重連回送がやってきました。四重連はよく見ますが六重連となると珍しいのでは…ちょっと判り辛いですがパンタも12個全部上がっています。

「急行屋久島2号」  EF58169 +EF59後補機
まともに撮影できる時間帯にEF59を従えて登ってくる定期客車はこの「屋久島」だけでした。Aロネ、ロザを含む12両の堂々たる編成です。

特急「しおじ」
この頃は新幹線は岡山までしか開業しておらず、在来線は特急が頻繁に走行していました。
「しおじ」は山陽本線の花形特急でグリーン車2両と食堂車を連結していました。

上り貨物列車は全列車(だと思いましたが…)EF59が重連で押し上げます。

特急「あかつき7号」EF5865+EF59後補機
5時半過ぎと思いますがこの時期で撮影は夜明けぎりぎりでした。後補機はかすんでよくわかりませんね。

1974年2月27日 EF5920 瀬野駅 
九州からの帰路、急行「屋久島2号」に乗車したときの
撮影です。上り方から撮影するとゼブラ塗りがなくEF56とほとんど見分けが付きません。

走行解放!
車内から走行解放の瞬間を撮影できるのは急行「屋久島2号」だけでした。それだけに決定的瞬間を逃すまいと必死に撮影したのを覚えています。

屋久島2号車中より。重連回送とすれ違いました。架線柱が邪魔ですが…

残念なこと】
呉線の蒸気がまだ健在の頃、たまに臨客回送が蒸気牽引でこの峠を登ったそうです。キネマ旬報「蒸気機関車」に℃59牽引の写真が掲載されたことがあります。(EF59の補機が付いたかどうかは不明です)当時は呉線の方にばかり気が向いてしまっていたのですが、大カーブをC62やC59が登ってきたら架線の下とは言えすばらしい光景だったでしょう。

瀬野駅
種車がEF56のEF5922と種車がEF53のEF591重連。違いが良くわかります。

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