このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


記念艦 「三笠」

ご存知日本海海戦(対馬沖海戦)で帝国海軍連合艦隊旗艦であった「三笠」です。
太平洋戦争終戦時には荒廃しまくっており、当時の合衆国海軍
ニミッツ提 督 に助けてもらったという、実になんとも日本国民として情けない歴史のあるのも人口に膾炙しており ますね。
その三笠へ行ってきました。

場所は右の地図参照。






記念艦三笠 公園
公園に近づいてくると三笠マストに翻る大将旗が目に入ります。

















そして、門を通過すると、 三笠の姿が見えます。

後甲板はテントに覆われているので主砲が見えず、前部主砲は木の陰なので
意外と第一印象は戦闘艦艇に見えません、
 


 




艦に近づくとこのような軍人さんが立っています。
これがかの有名な東郷平八郎大将。

ちなみに首から提げているのはニコンではなくて
ツァィスの高性能4倍!双眼鏡。
(当時はそんなものだったらしい)

さて、艦尾で軍艦旗に見とれながら入場券を
買ったら舷梯を昇りましょう。

記念艦三笠 副砲 

副砲は上下2段の甲板に備えられています。 大砲の脇にハンモックをぶら下げて寝起きした兵隊さん。 明治の男は強かったねぇ。 
ちなみにハンモックの上の開口部は弾供給口。 さらにこの下が弾薬庫。

その弾薬庫で隠れ酒を飲んで火事を出して三笠は沈没しました。  強い英雄もいたが、決まりを守れない昭和な男の先駆けも居たというわけで、、、

記念艦三笠 主砲 

前甲板より艦橋を見上げたところ。

人が立っているところに東郷長官、
秋山参謀以下が並んでいました。

40年後の太平洋戦争では
艦橋の高さは下図の有様( 戦 艦大和



艦橋から主砲を見下ろすと主砲の先は旧帝国海軍
横須賀鎮守府。
今は合衆国海軍第七艦隊基地。

 

記念艦三笠 主砲 


艦橋上甲板の下の部屋が操舵室
羅針機、テレグラフなどは日露戦争当時のものだそうです。

言い換えると、それくらいが当時の物で、上甲板から上の構造物は
全てレストア品と思って良いそうです。

終戦時の三笠はそれくらい荒廃していたそうです。
 
記念艦三笠  


記念艦三笠 福砲 記念艦三笠

東郷平八郎氏のその後は、評価の分かれるところでありますが、ともあれ、あの対馬沖海戦でバルチック艦隊を破ったおかげで、日本は独立を守れたし、朝鮮半 島はアジア人の居住する地方として残りました。

偉大なる先人達に感謝ですなぁ。

ま、真に偉大なのは、こんな地球の果てまで補給もままならない中でバルト海から大艦隊を率いてきた ロ ジェストウェンスキー中将 かもしれませんね。


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記念艦三笠 長官自室













































 





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