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2011年 4月20日 記
タイタンパー(振動で線路の砂利を突き固める道具)を使いたいので、1年程前から3相交流の発電機を探していましたが、ネットオークションで手に入れた事を「売ります・買います・探しています」のコーナーで既にご報告しました。動作保証なしのジャンクと言う条件でした。
松原に持ち込んで、先ずは状態をチェックをしました。30年近く前の製品である割には痛みが少なく、燃料タンク内に錆もありません。きっと大切に使われてきたのでしょう! しかし、メインSWのキーがなく、取り付けられていたバッテリーはかなり古い物のようでした。そこで、先ずはバッテリーの補水と充電です。また、キーがないのでSWごと交換しようと試みましたが、燃料タンクやら色々な物をバラさないとSWが取り外せませんでした。仕方ないのでSWの交換を諦め、キーそのものを作ってしまいました。そんな事をしている間に充電できているかと思ったら、全く充電が効かず思った通りバッテリーは完全にダメでした。仕方ないので手持ちの物を仮に取り付けることにしました。
出来立ての手作りキーを回して始動を試みましたが、一瞬回っただけでセルが動かなくなってしまいました。代わりに始動グリップ(ロープ)を引いてみましたが、何度引いても圧縮の手応えがありません。引き取った時には圧縮があった筈なのに・・・。レストアには困難が予想されました。
ヘッドを組み立てて、早速始動を試みますが、圧縮があっても始動しません。今度は電気系統のチェックです。各部をチェックした結果、プラグからは正常に火花が飛んでいます。原因は点火系統ではなく、燃料系統であることが判明しました。
翌朝、接着剤が固まったフロートを取り付け、キャブレターを組み立てて始動を試みましたが、これでも始動しません。トライしている時に、吸気口から直接ガソリンを流し込んでやると一瞬だけ回ることに気がつきました。どうやらジェットが詰まっているようです。
タイタンパーのプラグと、発電機のコンセントは形状が異なっていました。
ホンダのマニュアル
で事前に調べたところ、タイタンパーのプラグと、それに適合するコンセントは2〜30年前まで芝浦製作所の標準品(コンセントの型番は1203−B)だったらしいのですが、今はWebで探しても、秋葉原で探しても流通していませんでした。困り果てて鉄道業界の人に調べてもらったところJRの特注品としてのみ流通しており、プラグが20000円、コンセントが15000円である事が判りました。残念ながら、あまりにも高価なのでタイタンパーのプラグに合ったコンセントに付け替える事は諦めました。
ET3600側には250V15A(3P+接地)の標準的なコンセントがついています。また、タイタンパーのプラグは汎用品である250V20A(3P)コンセントに差し込むことが可能である事が判りました。と言うことで、簡単な変換ケーブルを作ることにしました。材料費は、汎用品のコンセントが約500円、プラグが200円、ケーブルを入れても1500〜2000円で済み、JRの特注品を使うのに比べて1/20の費用で済ませてしまいました。
だいぶ手こずりましたが、無事タイタンパーを使うことができるようになりました。写真は試し突きの様子です。2008年 7月13日 記

運材台車のレストア作業を始める必要がありますが、留置しておく場所が足りません。そこで機関庫の川側に新たに側線を設けるためのポイント敷設と、軌道の延長作業を春からから始めました。この側線は機関庫を周回して本線に戻るリバース線の一部とする構想もあります。
運材台車のレストア作業も始めています。運材台車はほとんどの部分が鋼製ですが、軸受け上部に木製の部分があり積車で運行するには腐ってボロボロになった木部の交換が必要でした。更に錆落としと塗装作業を進めており、3組の運材台車を準備できそうです。しかし、森林管理署との交渉や、どうやって積み込むのか等のクリアすべき問題も数多く残っています。
安全のためには貫通ブレーキの整備も不可欠です。各台車のブレーキ調整と、風化したエアホースの交換を進めています。また、運材台車間の中間連結棒が無いと原木を積んで走行することが出来ません。しかし、中間連結棒は盗まれており数が足りません。水交園(滝越)等から運び込み3両分を確保しました。中間連結棒に巻き付けて使う延長用のエアホースも既に失われているので、製作すべく耐圧ホースを手配しています。
軌道は昨年までに300mを超え、春から夏にかけては高低の調整と道床の突き固めを行ってきました。そして9月29日には、実行委員会を中心に営林署のOBなど、村民ボランティアによる軌道敷設作業が行われ、さらに、翌週の10月6〜7日にはりんてつ倶楽部や、各地から集まったファンの皆さんも加わり、引き続き作業を行っています。今年度分の目標は100mです。フェスティバルに間に合えば、往復800mの試乗をお楽しみいただけるかも知れません。
かねてよりレストアを進めてきた元関西電力のモーターカーを仕上げて、旅客輸送に供することが出来るように注力中です。エンジンの始動にも成功し、9月8日に試運転を済ませていますが、シートの取り付けや内装作業が残っています。ご乗車いただけることを100%約束できるものではありませんが、ご期待下さい。
軌道が400mに達し、一往復の試乗に要する時間も数倍に延び、機関車の運転席への添乗だけでは大勢のお客様に乗車いただくのは困難になってきました。たまたま、松原への引っ越しの祭に計量器付きの木製運材台車の台枠が崩れ落ち、新たに作り直しをしていました。9月上旬の活動日にこれが完成したことから、仮設のベンチを取り付け特製のオープン客車とすべく準備しています。
田島を拠点にしていた頃に比べると走行距離が格段に伸び、昨年の秋の公民館祭りでは車両の不具合が多発しました。そこでお客様を乗せることが出来る車両を増やす努力をしています。2007年 9月30日 記
2007年10月 8日 追記
2007年10月13日 追記
2007年10月22日 追記
2007年10月25日 追記
2007年10月30日 完結









2006年10月15日 記

先月の活動に引き続き7月15〜16日にかけて軌道延長作業を行いました。今回敷設したのは、機関庫北側(川側)の車両留置用側線で、0番線と呼ぶことにしました。先月の作業で1番線から分岐するポイントは既に完成しているので、その先に村の方から提供いただいた間伐材を挽いて作った枕木を並べ、先月まで敷設していた本線用15kgレールよりふた回り細い支線用の9kgレールを敷きました。ポイントの先、レール約5本分(25m)の延伸となりました。
この0番線は、当面レストアの予定がないクレーン車などを留置する為のもので、早速、昨年末の引っ越しの際にワイヤーを切断されてブームが下がり、本線上に鎮座したままになっているクレーン車の修理を行いました。何とか修理が済んだクレーン車はブームを45゜位まで持ち上げ、132号機で牽引して、完成直後の0番線へ押し込みました。しかしこの作業中に大きなトラブルが・・・・・。



先月、
成田ゆめ牧場
で活動している
羅須地人鉄道協会
のまきば線から持ち込んだ15kgレール用のジンクロは、壊れていたスラストベアリングの代替え品を用意し、更にローラーなど数個の挽き物部品を製作した事により、無事に元通り組み上がり復活しました。これでジンクロ2台態勢となり、今後の敷設作業も能率良く進められそうです。
羅須地人鉄道協会
の皆様、本当にありがとうございました。持ち込んだジンクロは30年前に木曽から入手した物だそうです。2台のジンクロは「30年ぶりだね!」と再会を喜んでいるかもしれません!? (ジンクロの捜索は、その後
片上鉄道保存会
様を始めいくつかのご連絡を頂きました。捜索にご協力下さった皆様、本当にありがとうございました。本報告をもって捜索を終了とします。)2006年8月2日 記

ゴールデンウィークに引き続き6月10〜11日にかけて軌道敷設作業を行いました。今回の作業内容はバラスト入れとレベル出し、ポイント1基増設、ポイントの仕上げ(ダルマや、ガードレールの取り付け)、そして最後はお約束の試運転でした。
ゴールデンウィークの6日間で3基のポイントを作り上げた経験から、今回はほぼ1日でポイント1基を設置することが出来ました。機関庫の川側に側線を1本増設し、貨車などを留置する予定で、その分岐となります。ポイントのガードレールはチョック(基本レールとガードレールを固定するためのスペーサー)が手に入らないことから、溶接止めにしています。
今回も保線OB三浦幸二さんの指導や、王滝村職員の方を始めとする地元の方々、遠路お越しいただいた鉄道ファンの方々のお手伝いをいただき、みんなで楽しく作業する事が出来ました。おかげさまで11日の夕方には構内から本線に至る試運転を行うことが出来ました。
ジンクロ(レールを曲げる道具)の捜索を当ホームページにて願いしていましたが、
なつかしの尾小屋鉄道を守る会
様を始めとして、複数の方々から貸していただけるとの有り難いお話を戴きました。お声をかけていただいた方々には、いざとなったらお願いしますとお返事を差し上げていましたが、1サイズ大きい22kgレール用のジンクロばかりでした。重すぎて作業性が悪い事から、更に15kgレール用の情報を求めていたところ、
羅須地人鉄道協会
様から錆び付いており、すぐに使える状態ではないが、それでも良ければ貸与しても良いと言う連絡をいただきました。現物をチェックしたところレストア可能と思われたので、今回の活動で松原に運び込みました。補修部品調達にも問題があり、未だ確実に使用可能となる保証はありませんが、大きく前進したことは確かです。羅須地人鉄道協会様、ありがとうございました。なお、羅須地人鉄道協会様の活動拠点である成田ゆめ牧場での顛末は
ここ
をご覧下さい。 <写真:左は貸与されレストア中のジンクロ、右は現在使用中のジンクロの製造銘板(メーカーは現存)>2006年6月18日 記

前回の活動報告でご報告したように、松原停車場跡に隣接した
松原スポーツ公園
に新しい機関庫が落成しました。しかし、車両搬入に必要な機関庫前5mしか軌道が敷設されておらず、このままでは格納された車両は走ることすら出来ません。そこで、ゴールデンウィークの4月29日から5月4日まで6日間の合宿を挙行し、新機関庫の3線を1線に統合し、本線に進入するポイントまでを目標として軌道敷設工事を行いました。 <写真:初日朝の作業開始前風景>
一部の
報道
にもあるように、昨年の秋から王滝村(役場や有志)の方々を中心とした
本線の敷設工事
が既に始まっていました。こちらの作業は、
2005森林鉄道フェスティバル
の収益金、長野県の
コモンズ支援金
、王滝村教育委員会の呼びかけによる
募金
等によりレールや枕木等の資材を購入し、王滝村(役場や有志の方)が中心となって敷設を進めています。一方、機関庫から本線に至る機関区内の軌道は、私達りんてつ倶楽部が永年コツコツとストックしてきた資材により、りんてつ倶楽部が中心となって敷設を進めて行きます。これら2つの敷設作業の境界は明確ではありませんが、大きくは上記のフォーメーションで作業を進めることにしています。 <写真:初日朝の本線側敷設作業>
休日を返上してご指導いただいた三浦幸二さん、お手伝いいただいた王滝村の役場の方々、営林諸関係のOBの方々、地元のボランティアの方々、遠路来村した林鉄ファンの方々には深くお礼申し上げます。日頃から仲良くおつき合いいただいている
羅須地人鉄道協会
の、U.SさんとJ.Aさんも個人的に作業に参加して下さいました。併せて御礼申し上げます。 <写真:初日の敷設開始時と、3日夕方までの進捗>
最終日の5月4日夕方には、本線に至る3個のポイントと、引き込み線用のポイント1個(フログのみの準備工事)がほぼ敷設完了しました。バラストを入れビーター突きを行い、仮止めの転轍器(ダルマ)を本設置すれば、試運転が出来るレベルに既に達しています。早く本線上を走行できるように今後も注力して行く予定です。 <写真:仮止めのダルマと、最終日夕方の全景(一番手前が本線)>
2006年5月12日 記


2005年9月上旬には基礎工事の為の整地が始まってしまいました。年度予算で事業を行う自治体は年度末(3月末)までに、事業を完了しなければなりません。雪が降り始めると作業が出来なくなる寒冷地の王滝では、実質的な年度末とは12月末である事に気がついていなかったので、進捗の早さに驚いてしまいました。

11月下旬には屋根葺きや、ピット工事も完了し、12月中旬には庫内のレール敷設や外壁・内装工事もほぼ完成の域に達しました。そして、寒さも厳しくなり雪が降り始めた12月23日〜24日にかけて車両の輸送が行われました。この様子は、レールマガジンの
名取編集長のBlog(2006年3月2日版)
でも取り上げられたので御存知の方も多いと思います。

初日は午後から雨となり思ったよりはかどりませんでしたが、翌日は暖かな快晴となり、何とか無事に作業を終えることが出来ました。なお、田島ワークスは軌道を含めきれいに撤去され、元の更地に戻っています。
こちらの作業も2005年11月下旬から始まっており、既に数十mの敷設を終えています。2年後迄には橋梁(木橋or鉄橋?)を含め数百mの軌道を完成させ、2007年秋にお披露目を兼ねて再び森林鉄道フェスティバルを催す計画だそうです。2006年4月17日 記

昭和50年に滝越へ新製配置された、関西電力所属のモーターカーのレストアが進み、往年の姿がよみがえりつつあります。


9月の第6回活動では、関西電力のマークを入れ、灯火類の取り付けを行い、ぐっと鉄道車両らしくなりました。(左写真)しかし、未だ内装やガラス周りの作業が残っており、残念ながら今年中の完成は難しくなってきました。特に、側面のアルミサッシ回りのウェザーストリップ(サッシのレール内側に貼る起毛したゴム部品)の捜索に苦労しています。どなたか、この分野に詳しい方がいらしたら是非ご教示下さい。2005年7月13日 記
2005年9月23日 追記

例年より約2週間早い4月16〜17日に本年度の第二回作業を実施しました。これは来る5月3〜4日に開催する「2005森林鉄道フェスティバル」のイベントの一環で動態保存車両の試乗会を行うことになったのですが、事前打ち合わせの段階で保線関係のOBの方々が盛り上がり、急遽仮設線路を延長する事が決まったからです。



驚くべきスピードで作業は進み、あっという間に50mの仮設軌道が敷き終わりました。ちょっと目には作業軌道のような雰囲気が漂います。通りや、レベルの調整後に132号機で地固め試運転、再調整を経て午後3時過ぎには作業は完了し、御神酒でお祝いの後に解散となりました。ほんの朝飯前と言った感じでした。本物の作業軌道も、こんな感じで1日に何十mも延びていったのでしょうね。軌道は元々60m程敷設してありましたが、機関庫等のスペースの関係で40m程しか走る事が出来なかったので、2倍以上の距離を走ることが出来るようになりました。作業中は
長野日報
と
信濃毎日
が取材に来られ、翌日の記事になったようです。Web版のURLを以下に示します。
予想以上に作業が早く終わったので、翌17日は以前から進行中だった関西電力モーターカーの錆止め塗装を行いました。パテや溶接の跡で汚かったモーターカーは、グレー一色となり、美しい姿を現しました。何とか今年中には完成させたいと思っています。2005年4月19日 記

「王滝村の放置車両」コーナーでも紹介しましたが、王滝本線の終点である本谷停車場から更に奥地にあった
本谷第二製品事業所
前に放置されていた2両のタンク車は有名な存在です。(
ここ
をクリックすると昭和52年撮影の国土交通省の航空写真が見られます。拡大すると本谷第二製品事業所がはっきり判ります。)恐らく発電機か何かのための燃料タンクとして使われていたものと思われますが、廃止以降30年近く経った現在も置き去りにされたままでした。このまま朽ち果てるのを見ているのは忍びなく、木曽森林管理署・王滝事務所に交渉し、りんてつ倶楽部で譲り受けることになりました。(交渉は、昔王滝営林署で機関車の運転をされていた三浦孝之さんにお願いしました。)
輸送は平成16年7月10日に行いました。中津川のレンタカー屋で借りたユニック付き3tトラックに乗って田島ワークスを午前中に出発した輸送メンバーは、滝越から林道を登り御岳林道経由で本谷へ向かいましたが、悪天候も重なり本谷第二製品事業所に到着したのは13時を過ぎてしまいました。タンク内には未だ油が残っているようで相当重かったのと、悪天候の影響で積み込みにタップリ2時間かかってしまい、本谷を出発したのは15時を過ぎていました。帰りは安定しない積み荷のせいで更にペースダウンし、2時間以上かかって田島到着は17時を過ぎていました。さっそく荷下ろしを行い、2両のタンク車は約30年ぶりに他の車両達と再会を果たしました。(私どもで保存している酒井工作所製5t機関車132号機は、助六に配置される前の昭和50年頃まで、本谷に配置されており本谷〜麦島の支線で働いていました。この2両のタンク車も132号機に牽かれて、本谷第二製品事業所に置いていかれたのかも知れません。)今後はペンキの塗り直しなど新たな作業が発生しますが、末永く大切に保存して行きたいと思います。2004年7月31日 記
去る4月24日から25日にかけて平成16年の第一回活動を行いました。朝、田島ワークスに到着したら何か雰囲気が違っています。な、な、何とタンク車などが留置されていた修理工場の向かいにあった、ワイヤーの保管庫として使われていた建屋が取り壊されて跡形もないのです。元停車場の構内に大量に放置されていた古タイヤも撤去されていました。保管庫の下から現れたコンクリートのたたきの床にはしっかりとレールが埋め込まれていました。おかげで見通しが良くなり対岸の県道からも田島ワークスが良く見えるようになり、通りがかりに立ち寄られる方が増えました。元「王滝営林署」、現在の「木曽森林管理署王滝事務所」は本年の4月30日付けで閉所する事から、式典が行われたと報道されています。この関係か、元営林署関係の施設が次々に整理されているようで寂しさを禁じ得ません。
私たちの常宿は昭和40年代後半から泊まり続けている滝越の民宿ですが、ここでも残念なことがありました。有名な滝越デパートこと平沢商店がついに閉店してしまったのです。体を壊したので近いうちに店を閉めると聞いていたので覚悟はしていたのですが、とても残念です。滝越は人口たった16人の地域ですが、商店のまったくない地域になってしまいました。生活物資の買出しにも事欠くようで、毎週火曜日に移動販売が来るようになったそうです。私は30年程前に、この店で銀河書房の「木曽の森林鉄道」を買い求めました。
永年のお付き合いから王滝村には大勢の知り合いがいます。買物の度、道ですれ違う度に挨拶する機会が多いのですが、今回はいたるところで「あれ、今週来ているの? 再来週の5月8〜9日だと思った。」と言われました。そう、私たちが公民館祭りで展示したレイアウトと、KMCこと木曽モジュール倶楽部のレイアウトを勘違いしているのです。このホームページを見ている方々には分かりきったことですが、村民の方には都会から来ている林鉄のファンで、同じ「倶楽部」が付くので区別がつかないようです。これにはちょっと戸惑いました。平成12年に、ある人から私たちの保存活動に対して嫌がらせを受けたことがあり、その後も無礼な態度をとり続けられたことから、その人の事を良く思わなくなりました。その人がKMCのメンバーとなった事から、ちょっとわだかまりがあるのです。他の何人かのKMCメンバーの方々とはお会いしたことがありますが、皆さんのお人柄は好感の持てる方ばかりです。と言うことで、村民の方々には私たちとは全く別のグループであることを良く説明すると共に、レイアウトはとても良く出来ており一見の価値がありますよ! と宣伝しておきました。私たちのグループにも鉄道模型を楽しむ者が多く、KMCの活動と素晴らしいレイアウトには羨望に近いものもあり複雑な気持ちです。実は私もKMCのレイアウトを拝見したことがなく、是非見てみたいと思っています。(2005年4月に関係を修復し、現在は和解しています。ご心配をおかけしました。2005/7)
さて本題のレストア活動ですが、関西電力のモーターカー(一部の人は「新快速」と呼んでいるようです。)の車体修復が進んできました。今年度中には塗装が出来るように注力していきます。いっぽう、当初想像していたよりエンジンのダメージが大きく苦戦している84号機の復活への道のりは険しそうですが、今回も復活に向けた若干の進展がありました。現地ではエンジンを降ろして整備できないのが最大の難点です。また、代替エンジンや部品の供給もままなりません。どなたか日野DS−70のガスケットセットを入手できないでしょうか?2004年4月26日 記

2000年から田島停車場跡地に活動拠点が移りましたが、これを機会に線路が2本平行に敷設されました。動態車両用の全長約60mの本線と、静態車両を留置する約15mの展示線です。これは限られた敷地の中で、なるべくたくさんの距離を走行させたかったからです。しかし、平行な2本の線路があればポイントで結びたくなるのが人情です。私たちはさっそくポイント敷設に着手しました。ここでは、2001年〜2002年にかけてポイントを敷設した記録をご紹介します。






本線と展示線の複線間隔が狭く、そのままでは機関庫にぶつかってしまい延長ができないので、展示線を山側に移動する作業に着手しました。先ずは前回仮敷設を済ませたポイントを使って、展示線に留置されている車両を全て本線に移動しました。



最後に、展示線への5t機関車132号機の入線試験を強行しました。分岐器内のカーブがきつかったため、レールに散水する事により入線を果たし3〜4往復しました。この様子を見て、前回に引き続き一同歓声をあげました。スラックをどれだけ付けたら良いのか判らないのですが、もっと拡げる必要があるようです。


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