このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

鶴見線の歴史と現在

鶴見線の歴史と現在

2年D組 斉藤 雅寛

 街中そして住宅地、鶴見川を越え京浜工業地帯へと続く鶴見線について調べてみた。鶴見線は横須賀、京浜東北、東海道、京浜東北線をまたぎ、横浜方面とは逆に延びながら途中で新鶴見、府中本町、横浜羽沢へ行く貨物と合流する。

 鶴見といえば、東西にはバス停やデパートが立ち並び機関車も重連や単機、甲種回送等の区切りの駅として使用され、とても鶴見線のようなローカルな電車が来る所ではなさそうではあるものの、朝、夕は大変混雑し、海芝浦行き電車と扇町行き電車は5〜6分間隔で交互にきている。また新鶴見まではさすがに、貨物は来ないものの浅野までは留置されていて、川崎貨物ターミナルへも足を運んでいる。現在、鶴見線は鶴見から扇町、大川、海芝浦へと延びている。それでは、全駅の紹介をする。鶴見駅は紹介したので、国道駅から。

・国道駅・・・昭和5年10月2日開駅。この駅の国道側には、戦争時の弾痕が見られる。この駅には、戦争時の面影が残されており、これを見たい人は、是非来てみると良い。

・鶴見小野駅・・・昭和11年4月1日開駅。この駅の名前の由来は、江戸時代からの、大主の小野重行が由来である。

・弁天橋駅・・・大正15年3月10日開駅。駅のある辺りが海の海岸線で守り神であった事からついたという。

・浅野駅・・・大正15年3月10日埋め立て功労者浅野総一郎氏の名から命名。

・安善駅・・・昭和5年10月28日開駅。この駅も埋め立て功労者安田善次郎氏の名からついた。

・武蔵白岩駅・・・昭和6年7月25日開駅。これもまた、埋め立て功労者白岩元治氏の名からついた。

・浜川崎駅・・・大正15年3月10日開駅。川崎の浜にできたことからつき、南武線との乗換駅である。

・昭和駅・・・昭和6年3月20日開駅。昭和肥料などへの利用者の駅で、株式会社の名から命名。

・扇町駅・・・昭和3年8月18日開駅。浅野総一郎氏の家紋の扇から命名。

と、いったようにして駅名がついた。昔の鶴見線は私鉄であり、今は川崎鶴見臨港バスという名が付いたが、前身は鶴見臨海鉄道であった。工場などへの足として使われている鶴見線だが、昔は海水浴場に行くのに使われていた。つい先日までは鉄道ファンが絶えず訪れていたこの路線も、クモハ12が消えてからはいつしか、静けさを取り戻していた。そんな中103系はクモハ12の後をつぎ、頑張って走っている。

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください