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日本総合悲劇協会ふくすけ

1998.12.26(土) 於:世田谷パブリックシアター 14:00開場 14:30開演の回 1階H列21番にて鑑賞

【物語】

 大手製薬会社・ミスミ製薬の御曹司・ミスミミツヒコ(山本)に育てられた水頭症の少年、ふくすけ(阿部)。誤って有害物質を配合した同社製精神安定剤を服用した妊婦の多くが奇形児を出産。会長は病院に手を回し隠蔽工作、死産と偽りの診断書を書かせて奇形児たちを手元に集めて幽閉していたのだ。だが、ルポライター・タムラタモツ(皆川)のスクープにより事件が渡るとともに、ただ一人の生存者・ふくすけの存在も世に出ることになる。

  一方。北九州の工場主エスダヒデイチ(綾田)は、失踪した妻、マス(片桐)を探して新宿をさまよう。もともと鬱症だったマスは結婚12年目で初めて授かった子供を死産して以来、近所の誰彼なしに訴える訴訟魔に変身。ついには姿をくらましてしまったのだった。
 歌舞伎町でマスを見かけたという噂を頼りに新宿をさまよううち、ヒデイチはホテトル嬢・フタバ(美加理)と出会う。吃音症がもとで人に馬鹿にされ、小学校では12人の同級生にいじめられたがマスと出会ったことで吃音が治り、自信を持つことができたこと、女性経験はマスただ一人であることなどを語ったヒデイチの純愛に感動し、フタバはマス探しの協力を申し出た。

  スガマ病院で警備員として勤務しているコオロギ(松尾)は盲目の妻・サカエ(犬山)と貧しい所帯を持ち、お前を幸福にしたいとかなんとか言いながら看護婦・チカ(池津)と不倫したり、彼女から麻薬を手に入れたりと胡散臭い男。そこへ、スガマに入院してくるふくすけ。事件当事者の会長は自殺未遂で植物状態、ミツヒコは失踪、一緒に幽閉された子供達は全員死亡、真相を語ることができるのはふくすけのみ。全国の注目を集めるふくすけを金づると見込んで誘拐し、見せ物小屋に売り飛ばすものの、あっけなく警察に御用。ところが、当のふくすけは「自分から病院を抜け出したいと頼んだのだ」と証言する。重度障害を持ち、知能の欠如した弱者を演じていた彼だったが、実は監禁中にあらゆる方面の知識を身に着けた、悪魔的天才に育っていたのだった。「世界一の醜さ」を全ての破壊行為の免罪符に持ち、ふくすけは堂々と悪の道を歩み始める。

  新宿歌舞伎町。コズマエツ(銀粉蝶)・ミツ(宍戸)・ヒロミ(伊勢)の三姉妹の経営する風俗企業・コズマ興業は歌舞伎町をを仕切る最大手。その本拠地、コズマビルにエスダマスの姿があった。ひょんなことでコズマエツの目にとまり召使いとして雇われたが、そのうち「輪廻転生プレイ」など、奇抜な風俗商品を次々と発案し、今となってはコズマ興業のみならず、新宿セックス産業の影の大立て者となっていた。
 そうとは知らず、ヒデイチはフタバとともにマスを探し続ける。フタバが協力者に引っ張り込んだのは、かつてミスミ事件をすっぱ抜いて脚光を浴びたもののその後スクープに恵まれず、今となっては風俗ライターで食い扶持を稼いでいるタムラだった。最初は乗り気でなかったタムラだったが、マス発見のあかつきにはヒデイチが北九州に持つ工場跡地の権利書を譲り渡してもいいという条件で俄然やる気を出し、歌舞伎町じゅうを聞き込みにまわる。

  ふくすけ誘拐容疑で収監されていたコオロギだったが、ふくすけの証言で速やかに出所。嵐の中出迎えたサカエに向かって一言、「ふくすけと寝たのか」。執拗に言い募るコオロギに激怒のあまり、発狂するサカエ。「体の中に神がいる」妄想のとりこになった彼女を新たな金のなる木に仕立て上げるコオロギ。ふくすけを守護神に、サカエを神の乗り移った巫女に祭り上げた霊感商法「ふくすけ」陰陽研究会の開業だ。霊感商法はいつしか新興宗教に変身し、若者を中心として急速に信者を増やしていく。歌舞伎町の片隅で発足した新興宗教は一つの神聖な勢力を形作り、コズマ興業を代表とする不浄な勢力を脅かすまでになる。分が悪いのを察して裏切りをはかった幹部・レイジ(宮藤)により、ヒロミは信徒による凶行を装って殺害され、二つの勢力の確執は更に高まってゆく。

  教団設立二周年の記念碑を建てよう、それもコズマビルに。ある日、サカエが言い出す。赤ん坊だった頃、コズマビルの前に捨てられ、コズマ三姉妹によって見殺しにされかけたサカエは、人生で初めて自分を見棄てた人間たちへの復讐を決意したのだ。後ろ暗いことをやってるのは御同様だが、神様対風俗ではどうしても分が悪いコズマ側。性風俗業界改善を大義名分に、マスを「スマダスエ」の偽名で都知事選に送り込み、クリーンなイメージを打ち出そうとする。街頭演説をぶつマスをついに発見したヒデイチは、「もうマスは自分の手には負えない」と、妻を取り戻すことをあきらめて、北九州で農業を始めるために帰ってゆく。

  ちょうどその頃、北九州に飛んでマスとヒデイチの周辺を洗っていたタムラは、怖ろしい事実を発掘していた。マスは鬱状態になるたびに、不倫を繰り返していたというのだ。一年に一人。ヒデイチの子供を妊娠するまでの十二年の間。そして、その相手とはヒデイチをいじめた同級生達だった。
 タムラと携帯で連絡を取るフタバのそばで、一人の浮浪者が聞き耳を立てていた。ミスミ事件暴露以来失踪していたミスミ製薬の御曹司、ミツヒコだった。自分を破滅に追い込んだタムラへの復讐に燃え、ミツヒコはフタバを尾行する。
 また同時期、植物状態に陥っていたミスミ製薬会長が奇跡的な回復を遂げ、事件の真相、監禁されていた子供達の身元について語り始める。

  東京都知事選選挙当日。開票速報を見守るコズマ陣営のもとに、ふくすけ教の信徒が総攻撃をかけてくる。その喧噪の中、フタバのもとにヒデイチから電話が入る。工場跡地の畑を耕していた彼は、十二体の赤ん坊の死体を掘り起こしたのだ。混乱するヒデイチにフタバは仕方なく、マスが彼をいじめた十二人と不倫をしていたことを話す。まさにその時。背後からしのびよったミツヒコのナイフがフタバを襲った。

  ふくすけ教信徒の攻撃は凄まじく、コズマ陣は窮地に追い込まれる。フタバを殺害し終えたミツヒコはタムラを追ってコズマビルへ。タムラは特ダネを求めてコズマビルへ。
  全てが一本の破滅という糸により合わされてゆくそのさなか、サカエは正気を取り戻す。金の種を失ったコオロギは落胆するも、正気に返ったんならそれでよし、また金づるは見つかるさ。と飄々。しかし突然、「で、お前ふくすけと寝たのか。ほんとのこと言えよ、怒らないから。」再び執拗に問いただす。ついにサカエは言う。「寝たわよ。」途端、力まかせにサカエを殴りつけるコオロギ。逃げまどうサカエを殴り、蹴り、凄惨な格闘の末殺してしまう。
  ビル内を蹂躙しながら上階へ向かったふくすけは、スクープを求めるタムラと、彼への復讐に燃えるミツヒコとばったり。タムラを刺殺して復讐を遂げたミツヒコを、ふくすけはあっさり刺し殺す。そのまま駆け込んだ最上階の一室では、マスが彼女自身の敗戦を報じるTVの選挙速報を見ていた。ふくすけの異形に悲鳴を上げ、助けをこうマスをふくすけは押し倒し、強姦する。醜さに対して偽りの同情や愛情を見せる人間をふくすけは徹底的に憎んだ。俺を可哀相だって言うんなら俺とセックスしろ。俺とセックスしないくせに同情のふりをするな。黒柳徹子、俺とセックスしろ。できるか。できないんなら同情するな。
 セックスするマスとふくすけ。なぜか、お互いの体を喜びの歌の旋律が鳴り渡る。ヒデイチがかつて、妊娠中のマスの胎内の子に毎日聴かせた曲だ。
 二人のかたわらで、ニュースが臨時速報を流し始める。回復したミスミ製薬会長が、ふくすけがエスダヒデイチとマスの息子であると証言……
 信徒にとらえられたミツは吊し首に。一人残されたエツは、コレクションの爆弾をビル直下に投げ落とす。爆音とともに全てが死に包まれたなか、コオロギは死んだサカエの幻想と寄り添いながら穏やかに愛を語らうのだった。

  後日。ヒデイチは、同窓会を開く。集まったのは、彼をいじめた12人。自分をいじめたこと、マスと寝たことなどをちらちらにじませながら食事をすすめるヒデイチ。ぎこちない空気の中、食事に口をつける男たちだったが、たちまちのうちに苦しみ始める。次々と息絶えるいじめっ子達を前に、ヒデイチはラジカセで「喜びの歌」を流し、悠々と、何かから解き放たれたかのように、見えない楽団に向かって指揮の腕を振り上げるのだった。

【感想】

 一言で言えば、詩的なまでにパンク。バラバラ死体の、切断された手だとか脚だとかがゆっくりと同一の肉体の構成部品だと見えてきて、ついにはどんな凄まじい殺され方をした死体なのかが分かるという。見てみれば惨殺体なのだけど、なぜか妙に美しい。「劇場としての手術」とかなんとかいう写真集があって、手術中の患部(肉体)をまるで花か果物のようにクリアに色鮮やかに撮影した写真が載っていたのだけど、グロテスクなものが非常に綺麗に見えるという。でも、グロテスクなのは明らかで、決して清浄ではない。醜くてかつ美しい。相反するものが共存している。そういう世界。

  「生と死とはフィフティフィフティ」だと、死んだあとにつぶやくフタバ。正常と狂気もフィフティフィフティ。打ち出されるボーダーレスな価値観。歌舞伎町と新興宗教の対立、コオロギの、サカエに対するねじくれ曲がった愛情。殺意の底に流れる、清冽な愛の流れ。観客を撹乱する演出方法。猥雑で、しかもなぜか神聖な感じもして。独立した軟体動物からゆっくりと触手が伸びて、いつしか触手どうしが融合して一つのグロテスクな生き物=物語を形づくってゆく。
  エレファントマンそっくりの水頭症でありながら卓越した能力と知識を身に着けたふくすけ。「可哀相に」だなんて言わせない。言えるのは俺とセックスできる奴だけだ。世界一の醜さをもって「なぜなら俺は世界一なんだから」と、社会に対して自分の優位を宣言する力強さ、同時におぞましさ。社会の弱者が一転強者に変化。目をそむけたくなる現実を逆説的に描くことで、二つの相反する価値を一枚の紙の表裏にしてしまう。フィフティフィフティに。
 そう。何もかもが同じ価値を持っている。優劣なし。でも、ものの意味は優劣から生まれるものだ。「これは大切なもの」だとか、「これはいけない行動」だとか。

 つまり。なにも意味なんてないのだ。この世に、意味なんて何も。凄まじい物語の底に流れる妙な静けさは、無常観にほかならない。ポップでパンキッシュな切り口を作り上げながらも、松尾スズキが(無意識に)探してしたのは仏教の死生観だったのかもしれない。


  セット。ブロック分けされた舞台セットも多重構造な物語を引き立てた。シーンごとに開け閉めされる目隠しすだれ。すだれの落ちる、シャッ、という音が物語の流れや時の流れを遮断し、観客の混乱を防ぐ役割を果たしていて、うまいと思った。
 巨大な段組状セット後ろの壁に相田みつをの詩のパロディ(生まれてこなければ良かったのに)をスライド投影するシーンがあったのだけれど、セットに邪魔されてほとんど見えなかった。残念。

 役者。松尾スズキ。道化のような、得体の知れないへらへら。卑しい笑いの裏にはどす黒い怒りや憎しみが淀んでいる。ぞくぞくする。どっかで自作について「アテ書きしかできない」と書いていたけど、コオロギは彼自身なのだろうか。美加理。セルロイド人形のような、固くて空っぽな魅力。タムラに「体売ってんのに何が純愛だ」と侮辱され憤る(恐らく自分に対して)シーン、哀れで愛らしかった。

 

【DATA】

公演は終了。(1998/12/17(木)〜12/27(日) 於:世田谷パブリックシアター)

作・演出:松尾スズキ

出演:綾田俊樹 片桐はいり 阿部サダヲ 銀粉蝶 宍戸美和公 伊勢志摩 美可理 宮藤官九郎 山本密 皆川猿時 池津祥子 猫背椿 村杉蝉之介 松尾スズキ 犬山犬子 木村卓矢 新谷眞木 福田陽一 青砥美香 井内美和子 石原雅子 伊藤尚美 今井延明 小笠原章洋 小川富美子 川勝京子 斉藤久実子 斎藤拓 佐々木大介 釋文江 白石高大 鈴木朗之 田村るみ 東一ひとみ 戸田光栄 鳥海愛子 中田葉子 野添征爾 萩尾麻由 林岳人 樋口徳子 深澤麻子 本谷有希子 レシャードマユミ

舞台監督:菅野将機
照明:佐藤啓 音響:藤田赤目 舞台美術:島次郎 衣裳:田中亜紀
写真:滝本純介 宣伝美術:吉澤正美
特殊造形:直井雄一(Youich Effects DESIGNS) 南雅之(セントラルサービス) 
振り付け:八反田リコ 作曲:金子いづみ 映像:藤田秀幸 

舞台監督助手:酒井ちはる 福澤諭志、渡辺千穂 照明オペレート:森川敬子 野中千絵 音響オペレート:佐野香代子(アンテナ) 演出助手:大堀光威 近藤和義 佐藤涼子 衣裳助手:戸田京子 高津 小道具:北野滋子 大道具:C-COM 制作助手:河端ナツキ 制作協力:北條智子 

制作:長坂まき子

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